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【映画】ママと娼婦 La maman et la putain/ジャン・ユスターシュ


タイトル:ママと娼婦 La maman et la putain 1973年
監督:ジャン・ユスターシュ

ここ一年あらゆる時代のジャン=ピエール・レオーを観てきた。トリュフォーの少年アントワーヌ時代からゴダール作品を含めた青年時代、カウリスマキのコンタクトキラーでの中年時代。ヌーヴェルヴァーグを体現しながら、作品の中で監督のペルソナをそのまま担わされる事も多いように思える。「ママと娼婦」の冒頭からレオーの服装やサングラスが、今回の映画祭のポスターに写るユスターシュそのままで驚く。もう少し捻りはないのかと思ってしまうくらい、ユスターシュそのままの外見。映画に愛されながらも、監督の代弁者を担わされる彼の存在自体を、彼はどう受け止めていたのだろう。しかし「ママと娼婦」自体がややこしいくらいに、ユスターシュの実体験を元にしたと知ると、破滅的なまでに実人生を映像に収めている様子に身を削って生きる人なのだなと感じる。性に奔放なヴェロニカ役のフランソワーズ・ルブランはユスターシュの元恋人であったり、そのヴェロニカとマリーの役柄はまた別の恋人だったりとややこしい。まるで80〜90年代の大判コミックの女性作家たちのように、恋愛の実体験を元にした内容のようでもある。当然体験が伴わなくなってくると、続きを作れなくなってくるように、この身の切り方は破滅的で刹那的なものになってくる。自由と恋愛を謳歌しようとするフランス人らしい仕草ともいえるが、被写体とキャラクターの存在があまりにも近いと、インティメイトにはならあるけれど、そこに待ち受けるのは作家としての四面楚歌だろう。ゴダールはそこに入り込みながら、常にポストモダンな立ち位置で最後まで切り抜けた稀有な存在だったのかなとつくづく思わされる。
この映画は3時間半を超える長さを持ちながら、常にインティメイトな雰囲気が続く。長い時間を共有する中で、観客もスクリーンの中の役者も徒労感にまみれる。ヒモのアレクサンドルの他人任せな姿勢のその日暮らしなモラトリアム感に対して、ヴェロニカとマリーらは自分が道を選ぶ立場を貫く。セックスに明け暮れたヴェロニカの独白は、セックスと恋愛は別物であって、他人から求められるセックスと、自分が求める愛の形の違いを涙ながらに長回しで語る。一方的に選択される事と、自分で選択する事の差異がはっきり示される。今の時代でもこの映画が刺さってくるのは、女性たちが自らの意思で楽しむ事や、男性に仕える言葉に喜びを見出す語りがある事だと思う。顕著なのが、アレクサンドルがふたりの女性を支配的にシェアするのでなく、ふたりの女性がひとりの男をシェアするという所が大きい。アレクサンドルが女性たちに選択権を譲る事で、女性たちがどうするのかを決めていく。アレクサンドルの姿勢にあやふやで優柔不断な態度を見て取れるが、同時にヴェロニカとマリーの態度も自分本位な姿勢も貫かれていく。男性主権な時代から、フェミニズムが台頭している今こそ、この映画の真価が問われるような印象を強く感じる。
長尺の映画だけど、おそらくヌーヴェルヴァーグの作家たちであったら2時間以内に収めていたと思う。要点を押さえて、見せるべきシーンに注力してリリカルな作品に仕上げていたはず。例えばロメールやゴダールの作品の殆どが90分から2時間無いくらいの長さであったように、手短に撮影を済ませていたと思う。リヴェットのように長尺の作品を撮る監督もいるが、彼の作品は長さに意味を持たせているようにも感じられる。「ママと娼婦」の長さは、繰り返し綴られる日常のひとつひとつを詳らかにする事で、湧き上がる感情を描き切っている。物語としては劇的な事は何も起きないが、3人が抱える問題が内面で大きな変化を起こしている。ドラマツルギーとしてのトピックよりも、個人が抱える悩みや不安、ドラスティックな行動の中で幸せへの足掛かりを見出そうとする「もがき」がダイレクトに伝わってくる事の重みが3時間半強の長さに現れている。
面白いのがストーンズ(スティッキーフィンガーズ!)やキングクリムゾン(宮殿とポセイドン!)などイギリスのロックがセリフや部屋のレコードでやたらと登場するわりに、ディートリッヒなど古風な歌曲が流れる。権利的な問題だと思うが、流れる音楽と意識される音楽のギャップもアクセントになっている。音に関しては、ほぼ同録が採用されていてアフレコは一切無いと思われる。作品のインティメイトな雰囲気は、音への姿勢もひと役買っているのでは?
ドゥマゴなど、パリの街並みも主人公たち以上に饒舌に物語を語っている。かつてのヌーヴェルヴァーグの時代の街並みと、ほんの少し変わりながらも、オーバーラップするようにモノクロームの美しい映像に収めたのは、5月革命以降停滞したヌーヴェルヴァーグへの愛情を感じる。そう、この映画は1968年の5月革命の狂乱が終わった後の残り香でもある。

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