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【映画】ファースト・カウ First Cow/ケリー・ライカート


タイトル:ファースト・カウ First Cow 2019年
監督:ケリー・ライカート

ロングライドとグッチーズスクール主催の最速試写で鑑賞。中々上映されずやきもきしていたが、A24の世間的な注目の高さもあってやっと公開されたのかもなんて思ったりするが、ともあれ上映が決まったのは喜ばしい。

(インタビュアーに)「たんぽぽ」という映画を覚えてる?
私は 「うっ、食べ物の映画なんて最低!」って感じだった。ただ「たんぽぽ」が80年代に地元の映画館を何カ月も占拠していたことだけは覚えている。
ケリー・ライカート

https://www.vox.com/culture/2020/3/6/21158250/first-cow-interview-kelly-reichardt

伊丹十三ディスというわけではないだろうが、「たんぽぽ」のヒットとテーマに辟易としたライカートの発言は面白い。この発言の後に「その日のために新しい食べ物を準備するのは大仕事だ」と話しているように、当然の事ながら映画で描かれる19世紀の西部開拓時代は、食料を確保することも日々の日課になっている。冒頭のシーンでは主人公のひとりクッキーが食事を用意することもままならない状況に、空腹から苛立ちを隠さない。安定して獲れるが毎食で飽きる鮭の話や、映画の中で重要なアイテムとしてミルクと、それを材料にして作るドーナッツなど食についての描写が何度も登場する。イギリス出身の仲買商はロンドンを思い出すというセリフも挟まれていた。
しかしながら物語全体を思い返すと、色へのこだわりというよりもこの時代の貧困さを描いたという印象の方が強い。そう考えると先の「たんぽぽ」に対しての発言は、食を味わう事ではなく生活を如実に表すための繋ぎとしてインサートされたものと考えた方がしっくりくる。たいして食べるものもない状況で、ドーナツという存在すら知らない人々にとって未知の存在である事の方が物語の上で重要だったりもする。
ケリー・ライカートの作品に触れる時、飾り立てない日常が盛り込まれている事が多い。大抵の映画やドラマでは、作られた空間としての家が映し出されるが、「リヴァー・オブ・グラス」での実家のように生々しい家の雰囲気が妙にリアルだったりする。東西海岸の大都市の家々のような作り込まれた世界ではない、アメリカの奥深い部分に触れるというか、そこに住む人の息吹を感じさせる(ハーモニー・コリンの「ガンモ」も同様な感触がある)。本作の納屋の様な家が映し出される時、隙間だらけの壁と土が露出した床が妙に生々しい。立派な仲買商の家と比べると、開拓時代といえど資本の格差がはっきりと目に見える。フロンティアの中のキャピタリズムというのも、本作の根底にあるテーマであるのは確かだろう。
ライカートが本作を作る上でリファレンスに挙げていたのが、インドのサタジット・レイ監督のアプー三部作「Pather Panchali」「Aparajito」「The World of Apu」と、勅使河原宏の「砂の女」、そして溝口健二の「雨月物語」だったという。

言われてみれば、たしかに市井の人々の生活の描き方や、カットなど「雨月物語」からの影響はそれとなく感じられる。先日のTIFFでの来日では小津安二郎をメインに語られていたが、フランス映画から影響を受けているというライカートの本質は溝口健二の方が近いのかもしれない。

オールド・ジョイ以降、原作と脚本を担うジョナサン・レイモンドが本作の原作と脚本を担当しているが、元になった「The Half Life」では牛は登場しないと知って驚いた。

この牛は全体を解く鍵のようなものでした。この小説は40年にわたり、中国への旅行もあり、キング・ルーは小説の中での2つの異なる人物である。「『The Half Life』は他の誰にも渡さないでほしい」と私は10年間いい続けました。
牛の存在が浮かび上がったことで、小説のテーマや登場人物をすべて残しながら、私の映画作りに適したこの時間の流れの中で映画を作ることができるという扉が開かれました。
ケリーライカート

https://www.gq.com/story/first-cow-kelly-reichardt-interview

長編の一部を切り取って再編した物語になっていると、上映後のトークショーで冨塚亮平さんが説明していた。原作は1820年代と1980年代を行き来する物語で、アメリカだけでなく広東も舞台になっている長大な作品だという。気になるが邦訳されていないため、原書に触れるしか方法はないようなのが残念。
トークショーの中でもう一つ触れられていたのがフレデリック・レミントンという画家の存在。ライカートは映画撮影に取り組む前に、最初にイメージブックをつくるらしく、その時にフレデリック・レミントンの絵をイメージとして引用していたという。

ミークス・カット・オフ」にも通じるヴィジュアルイメージがストレートに伝わってくる。本作は女性があまり登場せず、「オールド・ジョイ」に近いブラザーフッドの物語でもある。

ラストはライカート作品らしくばっさりと終わるが、冒頭の現代のシーンへと連なっていて円環構造になっている。その後の彼らが一体どうなったのかが、オープニングに記されているのは中々に憎い演出だったと思う。横並びで横たわる姿は友情と恋心の境界を曖昧にさせる距離感があり、ここでも「オールド・ジョイ」に近い雰囲気を感じさせる。
そして「ライブ・ゴーズ・オン」にも出演していたリリー・グラッドストーンの存在も忘れてはいけない。リリー・グラッドストーンといえば、現在公開中のマーティン・スコセッシの「キラー・オブ・フラワームーン」でネイティブ・アメリカン役で脚光を浴びているが、本作でもほぼ同じ境遇の女性で登場する。開拓に来た白人とネイティブ・アメリカンを繋ぐ役割は、おそらく本作が起因となって起用されたのでは思わされる。登場シーンは少ないが、家父長制の社会の中での女性の姿が少ないながらもとても印象に残る。
本作が大傑作かというと簡単には判断できないものの、これまでのライカート作品に心を動かされた人はしっくりくるはず。ユーモアを織り交ぜながら、オフビートと無理な緊張感を煽らないチェイスと、オレゴンの自然が織りなす風景の美しさが目で見て楽しめる。
ファーストカウが意味するものから、紡ぎ出される物語の妙を楽しむ作品だと思う。
ウィリアム・タイラーによるサウンドトラックは、アメリカーナを感じさせるカントリーブルースを基調にした内容となっていて、この辺りの使い方は上手い。

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