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【映画】ハンナはいつも、アイされたい(ハンナだけど、生きていく!) Hannah Takes the Stairs/ジョー・スワンバーグ

タイトル:ハンナはいつも、アイされたい(ハンナだけど、生きていく!) Hannah Takes the Stairs 2007年
監督:ジョー・スワンバーグ

00年代アメリカインディペンデントの低予算映画マンブルコアとして知られる一作。“マンブル”とは「もごもご喋る」という意味。まあどちらかといえば、マイクの集音がはっきり捉えていないからそういう印象になるのかなとも思える。ひとつの場面でカットを切らずに手持ちでパンしたり、手振れやチープなズームが多く、劇映画というよりもドキュメンタリーのように観ていると錯覚してくる。即興劇という部分はカサヴェテス的でもあるし、全体的な雰囲気はホン・サンスに近い。アメリカの映画の多くにあるマチズモや男女間によく見られる”らしさ”から離れた内容は、00年代後半から頭角を表したマイノリティを描いた作品だとも言える。10年代に入るとLGBTQやMetoo、BLM運動に切り替わった事で、マイノリティのよりピンポイントな部分にフォーカスされた感がある。00年代はマイノリティの枠が定まり切っていなかった事もあり、マイノリティの曖昧な部分も内包していた作品も散見される。エスタブリッシュされる以前の時代のこういった作品を観ていると、今の時代が取りこぼした部分も多分に漏れず含まれているし、この先に取りこぼした部分に再度フォーカスされる時代が来るようにも思える。
本作は2015年にノア・バームバックの「フランシス・ハ」が公開された事で、グレタ・ガーウィグに注目が集まり、当時この映画が日本でも公開されたが、ソフト化もされなかったため中々見る機会がない作品だった。 グレタ・ガーウィグのその後の活躍を鑑みれば、その活動のベースにある作品ではあるが大衆性を獲得した彼女の今の活動と比べるといささか野暮ったさがあるのは否めない。A24が配給する諸作はこういったインディペンデントのアティチュードを内包していると思うが、アメリカの映画シーンがこの10年でドラマツルギーやカメラワークを含め曖昧な表現のフィールドに立ち入った事で、表現の在り方は変わってきているのを実感させる。まさにその中心のひとりがグレタ・ガーウィグだったのではとつくづく思う。
それにしても、まだスマホもSNSもない時代で映画に登場するマッキントッシュのパソコンもiBookやパワーブックで携帯電話が主流。人との関わり方が直接的でフィジカルだったのが遠い昔のように感じられる。


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