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【映画】ファウスト Faust/ヤン・シュヴァンクマイエル


タイトル:ファウスト Faust 1994年
監督:ヤン・シュヴァンクマイエル

数年前、ASMRを初めて知った時に「そんなんで楽しめるのかよ」と訝しく思った。バイノーラルで録音された咀嚼音や生活音に対する自分の中のイメージが、どこか嫌なものとして心に引っかかっていて、どうも生理的な嫌悪の方が勝るような気がしてならない。久しぶりにヤン・シュヴァンクマイエルの映画を観て、そういった音に対して引っかかる気持ちの原因を思い出した。
以前シュヴァンクマイエルの「ルナシー」の試写会の手伝いをした事があった。ノーギャラだったけど、映画を観る事が許されていたのその場で鑑賞した。上映後、監督本人が登壇したトークショーがあり、観客の質問に答えていた。僕はスタッフのひとりだったので、質問は出来なかったけれどできる事ならひとつ聞きたい事がある。
「あなたにとって食べる事とはなんですか?」
ヤン・シュヴァンクマイエルの映画には食べるシーンが少なからず登場する。特に「ルナシー」で感じたのは、食べる様子が排泄の様子にも受け取れた。口の周りを茶色く汚す姿がどうも排泄しているようにも思えて、生理的な嫌悪感が湧き上がる。彼の作品自体がそういった作家性なので、映画が嫌とかそういったものではなく、表現の強烈さのインパクトが頭から離れないというだけであった。
「ファウスト」も同様に露悪的な食のシーンが登場する。まるで食べたくない食物をねちょねちょと掻き回すようなクローズアップは、音と映像の掛け合わせで耳と目にダイレクトに体に浸透してくる。もしこれがYouTubeのASMRチャンネルであれば、見た人全てが離脱するんじゃないかと思う程嫌な感触を覚える。まさにこう言った音の表現を楽しむ行為として受け入れ難いのは、ヤン・シュヴァンクマイエルの映画の記憶があったからと言っても過言ではないと思う。
「ファウスト」に限らず、ヤン・シュヴァンクマイエルの作品は丁寧に映像と音をリンクしてくる。やたらとデカい人形が軋む音だったり、底が抜けそうな木の床の軋み、先に挙げた食べ物のシーンや、肉を揉むシーンなど普通であれば聞き逃すような自然の効果音を余す事なく伝えてくる。寓話を取り扱いながらも、ダークな雰囲気を醸し出している要因のひとつにこの様な音の使い方がある。初期のアニメーションを使わない実写短編などには、あまり感じなかったが、アニメーションの表現を行う時、当然音は別録りになる。80年代以後のアニメーションと実写が重なった表現を行ったタイミングで、副産物の様に作品全体に嫌悪感を催すような音の表現が入り込んだのではないだろうか。効果音の域を脱している作品は他の監督でもあるだろうけれど、ここまでダイレクトに体に突きつける監督も他にいない。
ヤン・シュヴァンクマイエルの作品はどれも傑作だし、60〜70年代の実写短編も不条理ものとしてインパクトがある。チェコらしいアニメーションも多様しながら、不条理な物語の描き方の根本は実はそんなに変わっていない。丁寧に作られているし、コンスタントに作品を発表していた行動力は見事。ブレずに一貫してクオリティを保つ技量は凄まじい。クエイ兄弟の様に国を跨いだフォロワーも生まれている。
日本国内でも90年代から00年代にかけてチェコ映画ブームが起きていたけれど、ブームに流されない強さがある。なんとなくオシャレなものとして消費されない強さは、露悪的な表現と洗練された映像美の一見相反する表現の違和感に、消化しきれない異物が体の中に残り続けるからこそ、度々見返す中毒性があるのだとつくづく思う。

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