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『葬送のフリーレン』 コミックとアニメから 「人との別れ方を考える」

『葬送のフリーレン』は先日、アニメのOPで少し触れた。

今秋のアニメに来ているのを、プライムビデオやネットで知った。
「冒険、勇者」の単語が目に止まり『また異世界冒険もの?』と思いスルーしていたら、若い知人が「絶対オススメ! 今なら『サンデーうぇぶり』で、かなり先まで読めますよ」と言われて読んでみると、今までにない設定の物語。
興味が湧き、アニメも観てみた。

あらすじ

魔王を倒して王都に凱旋した勇者ヒンメル、僧侶ハイター、戦士アイゼン、魔法使いフリーレンら勇者パーティー4人は、10年間もの旅路を終えて感慨にふけっていたが、1000年は軽く生きる長命種のエルフであるフリーレンにとって、その旅はきわめて短いものであった。そして、50年に一度降るという「半世紀(エーラ)流星」を見た4人は、次回もそれを見る約束を交わしてパーティーを解散する。

50年後、すっかり年老いたヒンメルと再会したフリーレンは、ハイターやアイゼンとも連れ立って再び流星群を観賞する。まもなくヒンメルは亡くなるが、彼の葬儀でフリーレンは自分がヒンメルについて何も知らず、知ろうともしなかったことに気付いて涙する。その悲しみに困惑したフリーレンは、人間を知るためと魔法収集のために旅に出る。

それから20年後、フリーレンは老い先短いハイターを訪ねる。ハイターは魔導書の解読と戦災孤児のフェルンを弟子にすることをフリーレンに依頼。4年後、フリーレンは魔導書の解読を終え、フェルンは1人前の魔法使いとなる。ハイターを看取った2人は諸国を巡る旅に出る

https://ja.wikipedia.org/wiki/葬送のフリーレン

個人的なあらすじ

wikipediaの通り物語がスタートしてすぐに、かつて一緒に冒険した仲間たちの看取りが続く。

諸国を巡る旅に出ても、主人公フリーレンには数十年前、数百年前に訪れた場所であり、追憶の旅となる。
 
それだけで物語が続くと話が重くなるからか、旅中フリーレンは終始ダルそうにして、身の回りのことはフェルンが世話をし(フェルン自身が「私はお母さん?」と思ったりする)、フリーレンが道すがら集める魔法は下らないものばかりで、時々クスッとするシーンはあるがコミックは淡々と話が続く。放映途中のアニメは、気持ちの上げ下げを少し強くしているように感じられる。
 
歳が千年を超えるエルフと19歳の女性魔法使いだけでは、話の幅が広がらないなと思っていたら、戦士アイゼン(ドワーフは寿命が長いらしい)から一人の勇者見習い的な青年シュタルクを託され、話が広がり始める。
 
主人公フリーレンが目指す先は「亡くなった勇者ヒンメルと話ができる、オレオール(魂の眠る地・天国)」。
その地は「魔王城」があるため、魔族退治を行いながら話が進んで行く。
 
物語の中で、フリーレンは「エルフは亡くなったら無になる」と思っているが、ハイターから「生きている間が大変だから、その後は天国に行って楽しいと思う方がいいだろう」と言われ(信じていないのかも知れないが)旅をすることとなる。

雑感

物語の初っ端から死生観の話が多く、今の様な時代がゆえ、多くの人に読まれているのかも知れない。累計発行部数は1000万部を突破している。

原作者の山田鐘人氏自身が書いたコミックがある。

短いコミック。「サンデーうぇぶり」で全話無料で読めたと思う。
ほのぼのとしたディストピア。話の設定は異なるが、そのトーンは本作と似ている。
 
『葬送のフリーレン』コミック連載は続いており、最新話まで追いついていないが、主人公のエルフが亡くなった人たちのことや自分の長い人生(千年以上)を振り返る話が続くのだと思う。
途中で魔族と戦う場面もあるが、初期設定を見る限りフリーレンの魔力は圧倒的でハラハラする場面は殆ど無いはず。

アニメのOP、YOASOBI の「勇者」を耳コピしていて(Computer Musicとして聴く要素はたくさんある)ある時、唄(voc. Ikura)に耳を傾けると、その歌詞はこの物語の要約そのものであることに気がついた(音を聴いていて、言葉は頭に入ってこなかった)。


ひとりごと

知っている人が亡くなると「ああしておけば良かった」とか「もっと話をしておけば良かった」と思うことがある。

では、今、生きている知り合いや身の回りの人に、後々自分が悔やまないように振る舞っているのかといえば、必ずしもそうではない。

出来ない理由があったり、気が付かないのかも知れないが、それらに気が付いて自分を律するほど、心の余裕がないのかも知れない。
 
そんなことを考えさせられる物語。
読み進めたら、感想を付け足すかも知れない。

MOH

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