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ヒトが150歳まで生きられなくなったのは「恐竜のせい」? (COURRiER Japon)

興味深い記事。

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ポイントを幾つか引用する。

ポルトガルの著名な微生物学者による「哺乳類は恐竜の統治により生殖サイクルの加速を余儀なくされ、長寿の鍵となる遺伝子が排除された」という仮説が注目を集めている。

https://courrier.jp/news/archives/348484/

もっと長く生きられる生物だったが、恐竜時代を生き抜くために長寿型から繁殖型へと進化した──具体的には、長寿に関連する遺伝子を失ったり不活性化したりするなど、細胞構造を変えた可能性があるという。

https://courrier.jp/news/archives/348484/

どうせ恐竜に食べられてしまうのなら、長生きしようとしても意味がない。種を存続させるには、それよりも「生殖を優先したほうがはるかに有益である」。こうして、大型種から捕食されるという外的要因による短命に対抗するために哺乳類は繁殖型に進化し、恐竜がいなくなった現代も、ヒトを含む哺乳類の多くはそのときに進化した細胞構造のまま生きているとの説を彼は唱えている。

https://courrier.jp/news/archives/348484/

もっと長く生きられる生物だったが、恐竜時代を生き抜くために長寿型から繁殖型へと進化した──具体的には、長寿に関連する遺伝子を失ったり不活性化したりするなど、細胞構造を変えた可能性があるという。

https://courrier.jp/news/archives/348484/


寿命と長寿

この学説、無条件に同意するわけではないが、我が国の現状はそれに合致する。
日本人の寿命は20世紀後半から伸び、それに同調するかのように出生率は下がっていく。

上の学説「長寿型から繁殖型へと進化」とは反対の「繁殖型から長寿型へと進化?」しているのかも知れない。

この状況が続けば、長寿の鍵となる遺伝子が復活するのだろうか?
復活したとしても、そうなるのは数十世代先の話かも知れないし、それまでは加齢の苦労を伴いながらジワジワと寿命が伸びて行くのかもしれない。

先日、日経朝刊にこんな記事があった。

身内に、認知の衰えを伴った高齢者がいる。
離れたところに居るため顔を会わせる機会は少ないが、会うといろいろ思うところはある。

自分が歳を重ね認知機能が衰えても、寿命が長い方が良いのだろうか?
その歳になった時、自身の判断能力も衰えているから、自己判断は難しい。

では、そうなる前に何か書き物に残しておく?
(計画的な人生の終了とか)
それは今の法律では難しい。
そんな遺言書を公証人役場は受領しないはず。

自分にとって理想的なエンディングが迎えられる世の中になるには、法律的にも技術的にも、そして倫理的にもまだまだ先のことになるのではないか。

「合法的に安楽死が出来る」スイスでも、それを実施するためのハードルは高い。


MOH


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