夫がオジさんになっても
今回は過去に公開した夫婦に関するエッセイを再度手を加えて公開。
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私が夫に一目ぼれして付き合い、結婚した。
とにかく夫はカッコいい人。言ってみればそれだけ(酷)
時々「髪を切るのがめんどくさい」とものすごいロン毛にるが、夫の存在自体にベタ惚れしているので「ロン毛!キモイかも!でも…カッコいい!!」となる。
ある日の休日食材の買い出しで夫と出かけることになった。
ちょっと遠くのスーパーにいくことにしていたので、私はそれなりの格好で出たのだが、何気なく夫の足元を見る。
夫がサンダルに…靴下を履いていた。
お揃いで買ったビルケンシュトックみたいなサンダル。
サンダルに靴下…ものすごい衝撃だった。
このスタイルはオジサンだけだと思っていたから。
靴下を履くならスニーカーを履けばいいのにと思うのだけど「サンダルが臭くなるから」とか言っている。
どう考えても納得できない。
嗚呼、夫がついにオジサンになってしまったと思った。
あんなに大好きだった夫がオジサンになったんだ。
何とも言えない気持ちでオジサンを見る。
オジサンは全く気にせずおしゃれした私の横でサンダルに靴下。
泣きたい。
しかし、ガラスに映った自分の姿を見て
「あ…オバサンだな」と思った。
20代の頃ハイヒールが普段靴だったのに、もう履けない。すぐ足痛くなるし走れないから。
専らスニーカー。紐無しを結び直す苦労もないから選んでいる。
脚を出して歩くこともない。冷えると膝痛くなるから。肌触りのいいレギンス履いてると安心する。
オシャレはしていたが、所々に利便性や自分の加齢から来る不調をカバーしようとしていた。
見た目より利便性や体調を考え始めた時、人はオジサンやオバサンになるのかもしれない。
スーパーに到着したオジサンとオバサンは淡々と食材を買い込んだ。
夫と暮らす中で大なり小なり”合わない”と思うこともあったけれど、それはそれで見ないふりをしたり諦めたりしながら夫と妻、父と母としてそれぞれの役割で家庭生活をまわしてきた。
年を取り、見てくれよりも守らなくてはいけないものが増えている今、オジサンオバサンになるのもある意味勲章ではないだろうか。
夫がオジサンになった日は、私がオバサンになった日で、二人で年を重ねたことを実感した日だった。
このエッセイを書きながら思い出した曲が、森高千里の『わたしがオバさんになっても』
私は夫がオジサンになっても、変わらず「顔だけはいい!」と言い続けると思う。
そうじゃなかったら、この結婚そのものが何のためだか分からなくなりそうだから。
40過ぎた夫も変わらず顔がいい。
きっと50になっても60になっても変わらない。
そう思ってないとこのモラハラ夫と暮らせる気がしない(酷②)
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