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線路に飛び出したあの親子のことを、どうしても書きたかった

ここ最近SNSで話題になっているある親子のことについて、私はスルーできない。

乙武さんがこのnoteを書くちょっと前にこの話を聞いた。
障害があると思われる青年が線路に石を投げていて、それを母親と思われる女性が抱きしめて止めるという光景。
SNS上では「コイツのせいで電車が止まった」という声があって、その声に対して「理解がない」と言う人。
賛否が渦巻くこの出来事について、私は胸が締め付けられる思いだった。

何度、息子の衝動的な行動で「申し訳ありません」と言っただろうか。
何度も謝って、息子に言い聞かせ、そしてまた同じことが起きる。
時に強い口調で叱責したこともあった。
「どうして?どうしてそんなことするの?」
息子が自分で歩いて行動するようになってから、息子のことがよく分からなくなり、「どうして?」を繰り返すようになった。
私は今も息子のことがよく分かっていないのかもしれない。

息子が他の子とは違うと感じてから、私が常に気を付けてきたのは
「人に迷惑をかけてはいけない」
黙っていたら、誰かに迷惑をかけることになる。
だから、できるだけ迷惑をかけないように対策をしていかなければいけない。
毎日が作戦と実行の連続。成功率は半分もない。

何度も投げ出したくなった。
どうして私だけがこんな思いをするのだろう。
普通の子供と普通の未来を思い描いて生きていきたかったのに。

線路に飛び出した青年のお母さんは、きっと私の数倍も「申し訳ありません」を言ってきたのだと思う。
そのまま野放しにしてはいない証拠に、自分の危険を顧みず息子を抱きしめ止めようとしたのだ。
自分より大きな息子を人前で抱きしめるなんて、恥ずかしいし、申し訳ないのだ。
それでも誰かの迷惑になるくらいならととった行動なのかもしれない。
でも、この思考は「申し訳ありません」を通常の何倍も言ってきた親にしか分からないことかもしれない。

「じゃあどうしてそんなことする子を駅に連れて行くの?」と言う人もいた。
でも”そんなことをする子”だからかもしれないのだ。

電車に乗って通院するのかもしれない。
お母さんは車を持っていないかもしれない。
車があっても、一人でこの子を乗せていくのは危険なのかもしれない。
色んな可能性があって、消去法をしていった時電車に載せるという選択しかできなかったのかもしれない。

いつもなら落ち着いていられるけど、この日はどうしてもダメだった。
そして、事件が起きてしまった。

この事件について考えると、私には沢山の「かもしれない」が出てくる。
そして、どうしようもない気持ちになるのだ。

お母さんは線路で息子を抱きしめながら泣いていたかもしれない。
周りの人、そして息子に対する申し訳なさと、自分がどうすることもできない無力さ。
沢山の負の感情に包まれているお母さんへ更なる冷たい視線が刺さる。
障害を持つ子の親は、無敵ではない。

私は我が子と向き合いながら、今も傷だらけだ。
そして、沢山の傷だらけの親を見てきた。

極論から言えば、線路内に飛び出さないためのシステムが全ての駅に設置されればこのような危険な事件は少なくなると思う。
物理的に対策すれば解決できることも沢山ある。

しかし、最後は人なんだなと思う。
自分とは違うフィールドで生きている人に対して「~かもしれない」と相手の様子を想像してみることで世界はちょっとだけ楽になる。

線路に飛び出した親子は、ケガすることがなかったと知ってホッとした。
誰かがお母さんに「何かできることはありますか?」と聞いてくれたらいいなと思った。

ほんの少し。ほんの少しだけ想像してほしい。
あなたの家族が、自分自身を抑制することが難しい「知的障害」だったとしたら。
あなたの今の生活はどうなりますか?
一緒に外出する時にどんな気持ちなりますか?

あの線路に飛び出したのが、あなたの家族だったとしたら。
あなたはどう感じて、どう行動しましたか?


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