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そんなの関係ある!そんなの関係ある!

「お前に関係ない」という感じのセリフを見ると、いつも伊坂幸太郎の「チルドレン」を思い出す。名前は忘れたが、登場人物の一人が他人のことに口を突っ込んで「あんたに関係ないだろう」と言われる場面だ。
「この世の中で俺に関係ないことなんてねぇんだよ!」
と叫ぶのだが、この発言になるほどなぁと思ったものだ。つまり、自分の感情に対して影響を及ぼすならば関係している、とも取れるのだ。だから不快なことがあれば見て見ぬふりはできない。おせっかいと言われようと自分のためにやる、 といった考えだったように記憶している。

そう考えると「自分のためだ」という前提に立てばなんでも迷いなくできる気がする。人の目を気にして口を出せないといった状況を打破できるからである。人からはうるさがれるかもしれない、しかし黙ってたら自分がモヤモヤするからそれを晴らすためにやる、と。

この考えは、「エゴが全体幸福につながる」ともとれるのではないだろうか。例えばバスで席を譲ろうとしたけど、周りにカッコつけてると見られたら恥ずかしい…みたいな時。これが「自分がお礼を言われたら嬉しいし優しい人アピールを周りにしたいから」といったエゴ丸出しの動機だとしても、結果的には譲った人も譲られた人も幸せになっているのだ。「町をきれいにしたいというより、汚いのが目に入るのがイヤだからゴミを拾う」とかでも同じ。自分に関係があると捉えることで変わってくる。

しかしそう考えると芸能人の不倫に対して怒る人も、自分が住んでない自治体の不手際に怒る人も、自分の感情に対して影響があるから、と言ってしまえば「関係なくはない」とも言える。
ただこれに関しては「だからといって良い方向にいかないなあ」とも思ってしまう。もちろん個人の感情の動きは自由だ。不倫したからからもうあの俳優が出るドラマは見ない、となっても好きにすればよい。個人の範囲においては。ただそれを超えて、スポンサーへ電話するとか不買運動を呼び掛けるとかになってくるとちょっと異常ではないかと思う。
CMタレントに不祥事があってCMが飛んだとか商品が売れなくなったとかの直接被害を被った人だったらまぁどれだけ文句言っても仕方ないとは思うが。そのへんの被害は多分違約金云々のレベルではないのだろうし。

このあたりも結局エゴなのに、何が違うのだろうか。と考えてみるとそれは結局「自分だけのエゴと、他人に強制するエゴ」の差かなぁ、と思った。
「おれさまのやりたいようにやる(ⓒジャイアン)」と思って嫌なことを断ったり、自分の都合を優先したりするのはいいのだが、「お前も俺の言う通りにしろ」というのは自分のエゴをはみ出す。他人のエゴを侵食するので結局エゴとエゴの戦いみたいになってくるのだ。まあそう思えばそれって常にある人間関係の話とも言えるが…。

どうせならみんながそれぞれのエゴを貫くことが、それぞれの勝手な幸せになり、結果的に幸せの総量が増えるといいのだが。


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