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いかにして私はコピーライターを挫折したか。 第10話 混沌編

ついに10話!飽きっぽい自分がこれだけ続けるのは非常に珍しい。1話当たりが短いからというのもあるが、ガーッと書いて一息つくとだいたいこれくらいの分量になっているのだった。1000~1600文字程度なのでちょっとした合間にお読みいただけます、と急にリコメンド。


春田さんが去ったタイミングと同じくらいで、仕事量の増大とそれに伴う大量採用が起こった。デザイナーは常に募集している状態だったので珍しくなかったが、ベテランコピーライターも入ってきたのはうれしい驚きだった。自分より10歳程度上で、宣伝会議賞での受賞経験もあるという。酒村さんと年が近く飲み会が好きという共通点もあって、2人が仲良くなるのも早かった。同時期に入ってきた同い年のデザイナーも加わり、「面白い広告作っていこうぜ!」と飲み会で4人が盛り上がったりした。

「この体制なら何とかやっていけそうだな」

と思ってたら2か月くらいでベテランコピーライターの人が辞職したのでびっくりした。詳しくは後述。
というか、この頃の2~3か月は今思い出そうとしても何をやってたのか全然思い出せないくらい忙しかった。深夜作業は当たり前、代理店の人もひっきりなしにやってくるし、社内には常によどんだ空気が漂っていた。
3~4人まとめて採用されたデザイナーのうちの一人が偶然にも新卒の時に就職した会社の先輩だったが、深夜にトイレで会った時に
「……かわさき君、ここでよくやっとるね」と疲弊しきった顔で言われた。

なおその先輩はある日の深夜3時くらいに急にアートディレクターのところにいき「もう無理です」と言って帰宅し、そのまま退職した。
先輩といってもこの会社では新入りだったので作業としてはほかのデザイナーの補助(画像切り抜き・素材作り等)が多く、それを大量にしていたようだった。深夜3時くらいに一区切りついて
「終わりましたが他に何かありますか?(=帰りたい)」と聞いたところ
「じゃあコレをお願い」と普通に追加作業を振られて心が折れたらしい。

ちなみに前述のベテランコピーライターの人は、代理店から依頼された企画書作業のOKが出なかったことに加え、酒村さんとの仕事で任されていたコピーも反応がよくないという状態で何となく停滞していた感があったのだが、ある朝会社に行くと辞めていた。別の先輩が教えてくれたのだが、辞め方が衝撃的だった。

「おい、あの人辞めたぞ」
「えぇっ?!」
「しかもポストイットで辞めた」
「えぇっ?!」

どうやらポストイットに「悪いけど辞めます」と書いてそのデザイナーの人のパソコンに貼ってあったらしい。自分もこのころは疲弊しきっていて、よく朝会社に来る途中に
「車に軽く轢かれてうまい具合にしばらく離脱できないもんかな…」
などと考えていたが、ここで下手に乗り切ってしまったのが今思えばよくなかったような気がする。

後輩である麦田さんや本橋君は別のチームにいたが、そちらも修羅場だった。本橋君がふらふらになりながら「2時間ほど待ち時間があるんで椅子で寝ますわ…」と言うので「せめてネットカフェでも行ってリクライニングで寝たら多少疲れが取れるんじゃないか?」と提案した。「ああ、それいいっすね」と快諾してネットカフェに向かった本橋君はそのまま爆睡して2時間経っても帰ってこなかったのでめちゃくちゃ焦った覚えがある。本人がのちに語ったところによると「目が覚めた時あまりに着信が多すぎて、テンパった結果逆にゆっくりタバコ吸いましたよ」とのことだった。人間やはり寝ないといかん。


なお、酒村さんと組んでいたはずだったベテランコピーライターの人があっさりいなくなったことで、結局酒村さんの仕事のコピーは自分が担当することになった。ベテランはベテラン同士、若手は若手同士という組み合わせならまだ精神的にラクだな~とか考えていたのに。


「うう……気が重い……」
そうして翌年の健康診断でひっかかることになる。
次回、激動編に続く。

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