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文体という魔力。

「文は人なり」という言葉がある。
文章にはその人となりがよく出るという、まあけっこうそのままの意味だが、それをよく表すのが「文体」ではなかろうか。

ライティングというのはヘタに文体が決まっていると邪魔というか、「読みやすさ」「わかりやすさ」を優先するためにむしろクセを消すことが求められる。気がする(今現在WEBライターとかやってるわけではないのでところどころ弱気)。
その一方で、ライターの中には唯一無二の文体を操ることによって名前が売れ、それにより依頼が増えたりする人もいる。気がする。

そう考えると文体を手に入れることは、ライターにとって諸刃の剣。とはいっても、唯一無二の文体というものはそんなに簡単に手に入れられるものでもない。そんな中で自分が「何だこの文体は!」と衝撃を受けたのはスタパ斎藤氏のやつだ。


ズギャアァアァァァ。最強に強まった地獄からの使者により死なす!絶対トドメなんだぜェ~!しまった!死なした!ほないきまひょか。

…みたいな文章を操るので、若かりし頃だったこともありそのスピード&パワーにハマった。影響されて似たような文章を書こうともした。無理だったけど。まあここまでの極端な例はさておき、人気のライターはけっこう独特の文体を持っている。カレー沢薫氏なんかも結構独特、というか例えが突き抜けているなあと感じる。ああいう文章は脳からこぼれるように出てくるのか、じっくり練っているのかどっちなのかわからないが、勢いのある文章だと何となく前者のように感じる。

ちなみに「クセ」も文体の一種であるが、これは矯正したほうがいい場合が多い。自分で言うとついつい「まぁ」とか「一応」を入れてしまうクセがある。自信のなさの表れの気がする。「気がする」も多いな、そういえば。
こういったクセが味としていい方向に働く場合もあると思うが、商業的なライティングとしては消したほうがいいだろう。娯楽的な記事ではいいかもしれないが、正しい情報伝達が目的の場合は読む上で邪魔になるからだ。しかも、たいていのライターの記事はこの「正しい情報伝達」こそ求められていることが多い。必要スキルとしては「読みやすい文章」「混乱しない構成」「誤字脱字がない」あたり。何故かというとそういうものを作るのが一般の人ではめんどくさいから。

余談だがTwitterでどこかのライターの人が「文章を書くのは当たり前で、きちんと校正ができていることがプロの価値」といった意味のことを書いていたが、そのツイート内に脱字があったのでちょっとツッコミを入れそうになった。

と、さんざん個性を消す必要性を書きながらも、「独特の文体」を確立することにはやはり憧れがあるのも事実だ。
それが評価されるのは個性を認められた証でもあるし、すいすい書いてたものがほめられるほうが何かとラクという偽らざる本音もある。

ま、まずはなるべく多く発信してみることか。


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