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「技術」なら誰でも身に着けられる、わけでもない。

書店に行くと、売れている本のタイトルで、だいたいトレンドワードがわかる。
一時期は「●●力」というように通常「力」として換算しないようなものにつけるのが流行った。源流としては赤瀬川源平の「老人力」ではないだろうか。深く調べたわけではないので違ってても全然責任とりません。

最近も「多動力」みたいなのを見かけたからこれはこれで一つのフォーマットとして根付いたのか。ただもともとはネガティブワードにつけることで存在感を増す使い方だろうな。「鈍感力」とか「誤解力」とか。老人力も物忘れ→不要なことを忘れる力といったポジティブ変換の内容だった気がする。

さてそれとは別に流行ったなと思ったのが「~する技術」系である。
「指名される技術」とかそういうの。決して「最先端の半導体技術」みたいなのじゃなくて、「才能とか人間性で決まるものかと思ったら技術でどうにかなるものだったのか」と思わせるタイプのもの。

まあ実際たいていのことにはマニュアルがあるわけだから、イコール技術なんですよ。「クレーマーをファンにする技術」「上司にYESと言わせる技術」とかね。毎回こういう話をする際は何となくありそうなタイトルを想像で書いてるんで実際にあるかどうかは知りません。あったとしても無関係です。
で、こういう本の効果としては「技術ならば知識を学べば誰にでも実践できる」と期待できること。才能じゃないんだから。「誰でも150キロが投げられる技術」みたいなのがあったら一瞬「えっ、マジで?」ってなりますよ。実際には筋力的に無理だと思うけども。そういえば童夢くんは小学生なのに250キロくらい投げてたな。自分は昔ラウンドワンの球速計れるやつに力いっぱい投げ込んだら80キロだったうえに肩を痛めたのでもうやらない。

ただここで難しいのは、基本的に「考え方を変える必要がある」ことと「継続しないと意味がない」ことだと思われる。自分も昔ライティングの本などを読んだが、正直あまり身につかなかった。相容れない部分があったり、なるほど!と思ったもののつい忘れたりして気が付くと忘れてる、といったパターン。だからこういう本が効果があるとしたらまず素直に受け入れられること、ちゃんと続けられることといった素養が必要。まあなんでもそうだけど。

でもそれがなかなかうまくいかない人が多いから「~する技術」がいっぱい出るんだろうなあ~。「怠け者でも強制的に結果が出せる技術」みたいな本に飛びついちゃう人は一度考えてみよう。「そんなわけあるかい」と。わかりやすく実践的な本もたくさんあると思うのだが、同じ作者が似たような内容で何冊も出している場合はちょっと疑問符。「じゃあ前の本は不完全だったのか?」という気がしてしまう。「これは応用編だから」とかまぁ、理屈はあるんだろうけどね。

ちなみに自分が「こりゃいい本だ!」と思ったのは谷山雅計の「広告コピーってこう書くんだ!読本」です。あまりにいい本なんで人に貸したら返ってこなかったくらい。もし文化放送のラジオCMコンテストでグランプリ獲れたらコメントで「本読んで勉強しました」っていうのになあ。借りパクされたというオチも添えて。

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