見出し画像

見えない味方、見知らぬ敵。


「あっ、これに関してはAのほうが正しいと思う!」
となった時、ネット上で味方を探すのは簡単だ。「A 正しい」といった形で検索すればよいからである。女優のB子が嫌いだな~と思った時も同様。「B子 嫌い」「B子 むかつく」みたいな形で検索すればよい。
あなたのタイムライン上には「B子嫌いだわ~ 演技力なさすぎ」みたいな声があふれるであろう。それを見て「やはりみんなそう思っているよね」という風にすればたくさん味方がいる気分になれるので、精神衛生上はよいのではないだろうか。

ただそれは自分でフィルターをかけているだけなので、全部が全部そうなわけではもちろんない。普通に「B子 かわいい」で検索すればいくらでも自分とは違う意見が出てくるだろう。さらに言うと全く関係ないワードだと何も引っかからないということもある。「B子 スリジャヤワルダナプラコッテ」と検索したところで スリランカ人気でもない限り何も出ないはず。

芸能人などでエゴサーチする人もいるようだが、「●●さん」とかさん付けしている人なら悪口を言ってる確率が低いのでそういうワードで検索する、という話をしていたのを見たことがある。逆に略称だと悪口を言われている確率が高まるのだそうだ。
余談だが「マヂカルラブリー」を「マジカルラブリー」「マジラブ」と認識している人はそもそも正式名称を覚えてないのでファンじゃない可能性が高い、みたいな話を本人たちがしていた気がする。

まあそういう形でいろいろ自分へのダメージを避けるようにはできる。同調する意見を集め、褒めてくれる意見に癒され、逆に言うとそれ以外は排除する。誹謗中傷にさらされて病んでしまうことに比べればはるかにいいとは思うが、同調意見だけを求め続けるのも、またある意味病んでいるのではなかろうか。

そういうのを重ねると「あれ、これは自分が間違っているのかな?」とか「これは分からないから勉強しないといけないのかな?」と思うことがなくなってくる。「こんなに同調されるのだから間違っていない」「自分に分からない言葉を使うのが悪い、もっとわかりやすくすべき」というように捉えていくようになりそうだ。別に「苦労を買ってでもしろ」とか「我に七難八苦を与えたまえ」みたい なのび太パパ式説教をしようとしているわけではないが。自分が間違っている可能性を疑わず、知らないことを調べてみることもしない、となってくると手の届く範囲はどんどん狭くなる。

それでもいい、という関係性はあるだろう。味方は探せばいくらでもいるのだ。 が、その一方で、全然関係ないのに何か問題が起こると突如現れる敵もネット上にはたくさんいる。叩きたいだけのコメントであれば放置しておけばいいと思うが、中には納得できる諫言もあるかもしれない。そういうのに耳を傾ける余裕があるとよいなぁと思う。
しかし基本的に敵意は見えやすく、同意は見えにくいものだ。「叩いてくる人・ 何とも思ってない人・擁護してくれる人」がいたとして、何とも思ってない人は少なくとも敵ではないのだが、味方をしてくれるわけでもない。「騒いでも仕方ないよ」と静観してるだけの人もこの層に入るので、わかりやすい味方というのはだいたい少ない。

具体的に言うと、芸能人の不倫などがあった時の、「不倫は許せん!この芸能人はテレビに出すな」層と「そもそも他人の家の話なんでどうでもいい」層。明らかに発言が多いのは前者だ。エネルギー量が多いから。どうでもいい人はそもそもコメントなどもしないので相対的に見るとみんな文句を言っているように見えてくる。ちなみにあんまり有名じゃない人の話題が出ると「この方のことは知りませんが…」と言いながらコメントする人はどっちかというと前者に近い。知らないんなら別にコメントしなくていいやん。

もちろんネットのつながりによって救われたとか、プラス面の話もたくさんあると思うのだが、結局は「頼りすぎない」という普通の話になってしまうかなぁ。

サポートいただけた場合、新しい刺激を得るため、様々なインプットに使用させていただきます。その後アウトプットに活かします、たぶん。