受賞を目指すのはとどのつまり承認欲求なのだろうか。
宣伝会議賞のグランプリが発表されました。
なんと今回、コピーゴールドとグランプリが同一人物という快挙。
グランプリもしくはコピーまたはCMゴールド受賞すると次回からの応募資格がなくなり「卒業」と言われるのですが、同時受賞なんで文句なしの卒業、というかもはや飛び級。賞金も100万円+30万円になるわけです。すげぇなオイ。
このnoteを読むような人はだいたい結果を知っていると思うが一応リンクが以下。
毎回思うんだけど、ファイナリストで受賞なしに終わった人の名前も作品と一緒にサイトに載せてほしいものだ。ファイナリストに知り合いがちらほらいるし。
さて、この結果について、というか各々のグランプリ予想がネットにはあふれていたのだが、何となく話題に乗り遅れていたため以下のようなツイートをした。
そのおかげでどんな結果だろうと「そうだと思ったよ」というしかなかったのだが、実際のところ作品的にもダブル受賞という結果的にもまったく予想外の話で、普通に驚いていた。
それにしてもこういった公募の賞をめざすというのはみんな何が目的になるのだろうか。
「自分の作品で認められたい」「ほめられたい」「賞金がほしい」「目立ちたい」「仲間に刺激されたから」「何かを作り出したい」さまざまな理由があるかもしれないが、こう並べてみると大半は「承認欲求」とも言える。
しかも別に理由は一つとは限らないので目立ちたいし金も欲しいしついでにほめられたいという人もいるだろう。
で、承認欲求が強いと、どうも結果が出にくいのではないかと思う。やはり作るものに我が出すぎるような気がするのだ。「これ面白いだろ?」「これよく書けてるだろ?」という感じの。
なんでそんなことを思い出したかといえば自分の結果が出なくなったからだ。宣伝会議賞も通過作品は増えたものの1作品が2次を通ったのみ。文化放送はまあまあ自信があったものの玉砕。ローラーさん主催のコピグラでも準グランプリ以上になったことはない。
なんとなく手詰まり感を感じている現状。今回宣伝会議賞で2次通過したラジオCMを読み返しても「ベタかもしれないが一応思いついたから書いておこう…」と思ってたやつなので手ごたえバッチリというわけでもない。
ただそもそも承認欲求があるといいのか悪いのかというのもある。
それがパワーに代わる場合もあるだろうし。
いろんな人を取材しているハマダさんあたりに聞いてみたいものだ。
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