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「動画化=不真面目」?メディアを通すと変わる意味。

ドキュメンタリーといえば、「そのままを映した映像」というイメージがある。 真実の姿ということだ。

だが実際は完全ドキュメンタリーといえば生放送くらいのもので、インタビューなどでも「切り取り」をしてしまうことによって「真実っぽい何か」にしてしま う手法がある。
例えば、「ゴミ処理場建設に潜む闇」みたいな映像を撮りたい場合。
「ゴミ処理場ができてしまうと環境が心配だ。ただ土建業のほうは儲かる。まぁ現場の雇用が増えるのは村にはいいことだね」といった内容を答えたのに 「ゴミ処理場ができてしまうと環境が心配だ」の部分だけ放送されたらこの人は環境のために反対しているように見えるだろう。

ということで、「撮影=あくまで素材」というのが前提となる。最近は数多くのYoutuberが出てきたことで、「自分=常に被写体」として活動している人が増えた。

少し前に「救急車を呼んだら『生きるか死ぬかの本当に深刻な時だけ呼べ』と救急隊員に怒られたのが納得いかない」というYoutuberの動画がニュースになっていた。この人としては発熱がして体調不良で本気で命の危険を感じて呼んだのに…という内容であった。確かにそういう状況なら呼んでも仕方ないのではないか、と思ったが、 どうも救急搬送時に仲間がその様子を撮影していたらしく、 それを知ると「そりゃ言われるなぁ」と思ってしまった。

もちろんyoutuberの覚悟もなんも知らないのだが、「やべえ、身体だるい、息が苦しい…これは救急車呼ばなければ」の状態から「その様子を撮影」というのがこちらとしてはつながらないのである。「撮影できるくらいの余裕はあるんだな」としか思えない。

で、件の動画を見ようとしたらなんとその動画は非公開になっており、謝罪動画が上げられていた。多くの人が「動画を撮影=不謹慎」と取ったのだろう。

※そのニュース記事

救急隊員もあちこちから呼ばれて搬送につぐ搬送の中、「この様子を撮影して金儲けしている奴がいる」と思えばまあ苦言も呈したくなる。
そう、「撮影=全部不道徳」という単純な図式ではなく、これらは「金儲けに使用される」ことがポイントである。なぜなら救急隊員の苦労や活躍を追ったような映像が流された時には別に「俺たちの苦労を世間にPRしてくれやがって」みたいな不満は出ないだろうから。

潜入記事とか暴露記事とかもそうなんだが、「金にしようと思ってやったこと」に対して世間の目は厳しい。例えばセクハラの音声流出とかがあったとして、それが「何度も嫌がらせを受けていたので録音した」という背景であれば納得できる。
しかしいきなり最初から録音していたとなると「ハニートラップでは」「陥れるために話題振ったんじゃないの」と疑われる。実際、音声で公開していない部分で「私、下ネタ全然OKなんで!例えば~」みたいな話を自分からした後で、相手が反応してきた部分だけを流す、なんてこともできる。
これまた編集の魔術。あな恐ろしや。これを防ぐためにはもう言う側も言われる側も全部録音しておくしかない。

「何月何日何時に●●と言われました!これがその音声です」
「その30分前にこちらは■■と言われたからです!これがその音声です」
「その1週間前から●●で会った時にも★★でした!これがその音声です」
「そもそも2か月前の会議の音声では…」

ヤだなぁ、これ。そのうち裁判所では音声や映像の記録確認だらけになるかもしれない。

まあつまりはなんでも撮影してりゃいいってもんじゃないってこと。ただ撮影する側の「何か背負ってる感」に関してはまた派生で思うところがあるので別に書きます。

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