都会録
「憧れ」は無知と同義だった。
就職活動でよく訪れた東京。 静岡から東京までは東海道線で3時間半ほど、新幹線を使えば1時間ほどで東京に行くことができる。
ただ心理的な距離は物理的な距離と正比例しない。熱海を超えると加速度的に心理的距離は遠くなるみたいだった。
この絶妙な距離を隔てて、世界でも有数の大都市がある。
きらびやかなネオン、林立する高層ビル、絶えず開発され続ける東京に私は、憧れていたのかもしれない。
電車よりも新幹線よりも夜行バスを好んだ。 一日の就職活動の諸所を終えると、新宿の紀伊国屋本店に立ち寄り、新聞ダイジェストやプレジデントなどの雑誌を購入して、バスタ新宿へと向かう。
お金には困っていた。
夕食はバスタ新宿の待合室に隣接しているコンビニで菓子パンとコーヒーをよく購入した。 そして、東京を去る寂しさと共にバスに揺られた。
一年後、東京に勤務することが決まった。 憧れとは、補助輪のようなもので、そっと手を添えてくれる。
補助輪に方向操作や発進・停止機能はない。
ただ体躯を支えるだけ。
わたしを支えていた 「憧れ」は、蒸発した。
蒸し暑い夜に涼みを求めて浮遊しているハエ目カ科の昆虫たちが、偶然夜露に湿ったカーテンに身を休めるくらいに偶然に、ふと私は気が付いた。
わたしがカブトムシだということに。
コウチュウ目、コガネムシ科・カブトムシ亜科の甲虫。
外骨格で支えられたいた肉体は、外側が少しずつ削られてゆくにつれ、際限なく繰り返す日常という螺旋にまとわり、しまいにはコメ粒ほどの大きさに自主的に萎縮する。 憧れという名の外骨格。外骨格という名の憧れ。 器を失った私を支えるものはないようであった。
酸味が漂う肉体は腐敗し、荒廃的な態度が都会の社会と融合するのみである。 いまや役割を全うした憧れは情熱に燃やされ、燃えないゴミの水曜日を待つだけである。
コメ粒大の萎縮した肉体は、また肥沃な土地を生み出すためだけの養分となってゆく。 この養分が無数に連なり、憧れを再生産し、仮想現実を形成しているのかもしれない。 都会とは、当たり前であるが人の集合体であり社会そのものである。 社会という名の包括的な普通名詞は、数年に一度しか着ないドレスでも召していたのか。それほどまでに上京の時には輝いてみえた。
社会が掲げるその近代性、進歩性、多様性、未来志向性。 すべて虚構だ。 ただ、自由で活気に満ちた都市の醜悪な空気に若者たちは惹かれてゆく。臭いものを一度は匂いたくなるものだ。 ぞろぞろと夜行バスで道行く乗用車を掘り進めながら上京してゆく。 そのうちの一人が24歳の僕だった。 もう散散だ。 都会を去るまで残り2年。 ノートに綴っていく。 終わり。 2021/5/24
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