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指先から父のうんこのにおいがする

電車の中で人知れず指先を丸めた。
石鹸で何回も手を洗ったのに。
洗いすぎて爪の油分がけて白っぽくなるまで洗ったのに。
父の便のにおいが残っている気がしたのだ。


92歳の父は、数年前から脚が弱り自力で立てない。
つかまるところがあればつかまり立ちをするが何もないところは這って進む。
排泄も一人では上手くできず常におしめを着けている。
本人はおしめに排泄をするのが嫌で這ってトイレに行く。
おしっこをする時、手すりをもって立ち上がり便器に向かってするのだけどいつも上手くできず床がびちゃびちゃになる。
まあでも拭いたらしまいだからドンマイ。
困るのは排便の時。
本人はできるだけ自分でやりたいらしく(そらそうやろ)
便座に座って排便した際は後の処理も自分でやってのけるのだけど上手くいかず大抵手に便がついた状態になってしまい結果あちこちにうんこ塗りたくり・・・になってしまうことが多いのだ。
しかし、少し前から便はおしめの中にすることが増えた。
感覚が鈍り便意を感じなかったり知らない間に出てしまっていることが多くなってきたのだ。
こちらが気づかないとおしめが汚れていることも分からなくなっている。

今朝、出勤前のバタバタしている時間にに「ひょっとして」と思った。
臭う。
まだ寝ている父のおしめを確かめた。

思った通り、うんこでいっぱい。

わぁーーー。
時間的に厳しいけどこのままにしておくわけにもいかない。
母に任せてもいいが最近認知症の症状が目立ち、体力も衰えてきた母にはこの作業はかなりきつい。
第一母はまだ寝ている・・・

「お父さん、寝てるのに悪いけど便出てるからおしめ換えるで。」

寝ている父を起こして便の処理をしておしめを取り換える。

「すまんなあ。全然(便が出ている)感覚ないわ。病気かなあ。」

「病気とちゃうちゃう。年とったら普通のことやん。」

毎回便の処理をするときに父と交わすやりとり。


あーーー、もう時間がない。
だって今日は金曜日。
可燃ゴミを出す日だ。
ゴミ出しはしておきたい。
父のおしめ換え作業を終え、慌てて部屋の隅の小さなゴミ箱のゴミを指定のゴミ袋に入れようとした。
運動会の競技の途中のように足がバタバタする。

落ち着け。落ち着け。

ゴミ箱を袋にの入り口にあてて中のゴミを袋に・・・

「ギャーーーーー!」

ゴミが全部床に落ちてしもたー。
もーーーーー!最悪やんかっ。
なんでこうなるねん・・・・・と思ったら涙が出てきた。

と同時にもうなんか知らんけど可笑し過ぎて笑いが止まらんようになってしまった。
笑っている場合とちゃうのに笑いが止まらん。
涙を流しながらゲラゲラ笑った。

笑ってしまうと必死になってる自分が滑稽に思えて何かが吹っ切れたように楽になった。
別に状況が良くなったわけではちっともないのに気持ちの状態は随分と軽くなった。

いつの間にか、気が付いたらどっぷりつかっている介護の生活。
一週間フルタイムで仕事に行く。
朝4時半に起きてお弁当と昼、夜に食べられるおかずを作って行く。
夜7時半に帰ると父は、もう寝ている時もある。
母は、認知症の影が出始めおしゃべりが大好きになっているのだけど会話をしているとこっちがおかしな感覚になってしまう。
会話がかみ合わない感覚・・・・
それはとても悲しい気持ちになる。
父が壊れていく。
母が壊れていく。
その現実を受けとめることがこの上なくつらい。
時間は止まらない。
寿命が年齢順だとしたら、介護はお別れの日までだんだんと色んなことができなくなっていく父や母と付き合っていくことだと思う。

一回でも多くの「おいしい」「嬉しい」「楽しい」「おもしろい」を重ねてもらいたい。
でも、現実を受け入れられない私はきっとどうしようもなく悲しい顔をしていると思う。
あかん、あかん。
それはあかん。
悲しい顔はマズい。
笑たもん勝ち。
・・・・・そんなことを思いながら満員電車に乗っている。
ふと指先から父のうんこのにおいがした気がした。
そんなはずはないと思いながらも気になる。
ついさっき父の便の処理をした時の臭いが鼻に感覚として残っているのか。
臭い。
でも、生きている臭い。











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