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マニアとオタクとサブカルとロッカー

気になったのは↓こちらの、はてなブログの内容。野間〝tpkn〟易通尊師への批判というか、揶揄の内容なのだが、個人の主観以上の論拠はないような……。ブログ執筆者は「いま30代後半の自分達は」と書いてるところを見ると、2018年時点で36〜39歳だろうか? では、1988〜89年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件───いわゆる宮崎勤事件の時は、6歳から9歳ぐらいだろうか? そりゃあ、あの時代の状況やら空気感なんて、理解できないだろう。

野間易通はオタク差別全盛期の差別当事者

される側のね。

1.苛烈なオタク差別に直面した野間世代
そもそも野間がイキってる写真とか見るとわかる人にはわかる。
あれは不良のセンスではない。
むしろオタクのセンスに近い。
野間は自分より一回り以上上の世代だが、あの世代のオタク独特の臭いが強くする。
エヴァ放映時に30過ぎだった世代(エヴァに最も発狂的反応を示してた世代)だ。

ここで重要なのは、
・メインカルチャー
・サブカルチャー
・ハイカルチャー(上位文化)
・ローカルチャー(大衆文化)
・カウンターカルチャー(対抗文化)
・マニア
・オタク
・好事家
・韜晦趣味
は似ているけれど、違うということ。以前に書いたnote『原始、オタクは蔑称だった』の、補足的な続編を。


■似て非なるモノ■

それは喩えて言うなら、平成生まれの人間には、エルヴィス・プレスリーのジャンプスーツもBeatlesのマッシュルームカットもQUEENのフレディ・マーキュリーの全身タイツも、同じ奇妙なファッションにしか見えないのと同じ。でも同時代を生きた人間には、プレスリーもBeatlesもQUEENも時代的には少しずつズレてて、別物。ちなみにプレスリーの活動期間は1954-1977年、Beatlesは1960-1970年、QUEENにおけるフレディは1973-1991年。

Beatlesの人気に火がついたのが1963年の『プリーズ・プリーズ・ミー』なので、プレスリーとはほぼ9年ぐらいの差がある。例えるならプレスリーが東映の『うかれバイオリン(1955年)』ならBeatlesはTVアニメ『鉄腕アトム(1963年)』で、QUEENは『パンダコパンダ(1973年)』や『マジンガーZ』や『科学忍者隊ガッチャマン』。でもコレが解らない世代には、オタクという言葉が、マニアと呼ばれた特殊な趣味の人達の中でも、コミュニケーション能力に難の有る人達を馬鹿にする言葉=蔑称であったことも、ピンとこないだろう。中森明夫氏がまさにその文脈で語った頃には、まだ幼稚園生だろうし。

今のバンドを組んでるような人に、加山雄三さんの1965年公開の映画『エレキの若大将』を見せたら、なんと言うだろうか? こんなの、俺たちがやってる音楽とは違う、ただの歌謡曲だ、一緒にされたらたまらんと言うだろう。野間易通尊師が生まれたのは、その翌年。ビートルズは今や永遠のスタンダードになっているけれど、60年代や70年代は、バンドやエレキギターは不良がやるモノ。1960年生まれの永野護氏が京都で高校時代にバンドをやってた頃は、それだけで不良扱い。

でも、不良とオタクは別物。アメリカのナードと呼ばれる層が、アメフトやバスケの人気者から殴られ女の子からも相手にされないように。バンドやってると女性にモテて、アニメや漫画やフィギュアといった「子供っぽい趣味」は馬鹿にされていたわけで。20歳近く年の離れた層にはいかに野間尊師がイキリオタと似たファッションで滑稽に見えて、今日的なオタクと大差ないように見えようが、それは加山雄三さんのエレキの若大将を見て「非モテがイキってる」と評するのと同じぐらい、的外れだと思う。コレも自分の主観だが、60年代生まれや70年代生まれには共有できるだろう。当時はこれで音楽を志し、エレキギターを購入した人間が、イッパイいたのだ。

■なんでもオタクで括るな■

例えば鉄道オタクとかプロレスオタク(プヲタ)のように、同じオタクに括られるジャンルがあるけれど、プロレスは地方にとってはサブカルチャーではなくメインカルチャーだったわけで。これは、自分とほぼ同世代のマキタスポーツ氏(山梨県出身)やプチ鹿島氏(長野県出身)もラジオ番組『東京ポッド許可局』で指摘されていたが。ゴールデンタイムに、地方の数少ないテレビ局で放映されるモノが、サブカルチャーのはずもなく。鉄道ゲージなどの趣味はむしろ、世界的にはメジャーな趣味。オタクの意味も定義も曖昧になり、サブカルチャーの意味も、若い世代にはさらに曖昧に。

ロックというのは反体制として出てきたけれど、そもそも体制側だいや反体制だというのは、メインカルチャー内の主導権争いであって、60年安保や70年安保の学生というのは、後にセクト化する学生運動の左派とは、立ち位置が違う。彼らはメインカルチャー内部の人間だった。故に、カウンターカルチャーと呼ばれた。つまり、メインカルチャーと対等な、別のメインカルチャー。政権交代可能な野党のような存在。プロレスは大衆文化=ローカルチャーではあってもサブカルチャーではなかった。ところが、文化人が「こんな大衆が好む低レベルな八百長をマジメに取り上げる自分って、お堅い文化人じゃありませんよ〜」という、韜晦趣味の結果、いつの間にかサブカルチャーに組み込まれた部分も。

そもそもサブカルチャーというのが、なかなかに定義が難しい。佐藤健志氏に言わせると、70年安保の挫折で、社会にコミットすることにある種の抵抗感を覚えたシラケ世代が、正統の学問とは思われていなかった分野や新興の文化に流れ込み。そういう学問志向でない人間が、漫画やアニメ、アイドル、プロレス、声優、特撮、ライトノベル、ポップミュージックなど、教養があまり不要な文化な、わかりやすい文化=ローカルチャーに飛びついた訳で。解りづらい、教養が必要な文化をハイカルチャーとも呼ぶ。これは解りやすさが評価の軸。

■サブカルに零落したハイカル■

でもコレは、例えば葛飾北斎や歌川広重の浮世絵版画が、当時の人には「わかりやすい」存在であったというのと同じ。実は、北斎も広重も世界レベルの美の巨人で、素人でもわかる凄いモノを描いていただけで、レベルの低いモノを描いていたわけではない。これは喩えるなら、パソコン初心者にハイスペックのプロ用マシンと、エントリーモデルの廉価機と、どっちが使いやすいかに似ている。エントリーモデルは安いだけで、性能は不充分なので、素人にはかえって使いづらい。初心者こそ、ハイスペック機を使うべきだったりする。

これは宮崎駿監督や出崎統監督、富野由悠季監督らのアニメ作品も同じで、子供にも解るが、レベルは低くない。だから、世界に届いた。かつては映画関係者からは電気紙芝居と揶揄されたアニメーションだが、別に映画の下位互換ではなく、映画とは異なる表現手段のひとつ。技術的な発達途中段階で、馬鹿にされてただけ。それは輸出用陶器の隙間に丸めて入れる程度の存在だった浮世絵がそうだったのように。近松門左衛門が当初は歌舞伎ではなく人形浄瑠璃を選んだように、表現手段のひとつである。アニメは人形浄瑠璃のように抽象性が高く、役者個人の影響を排除しやすい。アニメにしかできない表現がある。

野間尊師の悲劇は、浮世絵が世界的に評価されてるのに、江戸時代のままの感覚で「雪舟は高級、北斎は低レベル」と言ってた江戸の南画家みたいな部分か。しかも、尊師が愛したロックは商業主義に走って、いつの間にかサブカルに組み込まれていた。プロレスのように。というか、自身が副編集長であったロック雑誌で、アニソンの特集をしようとする編集長に強硬に反対したらしいのも、ロックのサブカル化への抵抗だったのだろう。ただ、それならロックの復権を目指せば良いのに、野間尊師はアニメやSFやら、サブカルへの蔑視と逆恨みを募らせた。そう、自分たちの無策無能を棚に上げて、アベヤメロを連呼する野党のように……。

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