見出し画像

美少女イラスト炎上騒動の裏

◉ブシロードの木谷高明会長がかつて、「すべてのジャンルはマニアが潰す」と語りましたが。これは、新日本プロレスを買収したときに話題になったのですが、実は本業のカードゲームについての言及だったんですよね。もちろん、これは新日本プロレスの、濃くなりすぎたファンへの警句としても、有効だったんですが。これはマニアの排除ではなく、供給側がマニアになってはいけない、という意味が大きかったようです。非常に奥行きがある言葉なんですが、美少女イラストを炎上させていたのも、ジャンルを潰すマニアだったようです。

【「美少女イラスト」炎上騒動はなぜ繰り返すのか 「許せない!」と抗議した女性クレーマーの意外すぎる正体】デイリー新潮

繰り返されるイラストの炎上騒ぎ

 何度も、何度も、何度も、二次元美少女の炎上は繰り返される。2020年には静岡県沼津市にあるJAなんすんの「西浦みかん寿太郎」の広告に使われた「ラブライブ!サンシャイン!!」のキャラクターのスカートのシワが性的だと言われたかと思えば、2021年には千葉県の松戸警察署でご当地VTuberを啓発動画に起用したところ、やはり見た目が性的だと指摘されて削除に追い込まれた。「温泉むすめ」はキャラクターのデザインが不適切だとして何度も炎上し、そのたびに各温泉地が対応に追われる羽目になっている。

https://www.dailyshincho.jp/article/2023/07301300/?all=1

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、オススメで出てきたのを、そのまま。いいですね、雰囲気が。

◉…▲▼▲▽△▽▲▼▲▽△▽▲▼▲…◉


■クリエイターと和製サブカル■

実際、あらゆるジャンルに言えることですが、無関心な人は、無関心なんですよね。サッカーにまったく興味がない人、ゲームに興味がない人、そういう人はクレームを入れない。クレームを入れるのは、中途半端に詳しい人間や、その下の一知半解な人間なんですよね。オタクという言葉は、元々がマニアの中のコミュニケーション能力が低い一群を指す、蔑称でした。だから、創作系の人間であっても
  素人<オタク<マニア<プロ(商業プロ)
のようなヒエラルキーはあったんですよね。

ところが、映画やアニメのファンというのは、クリエイター系とはまた違うんですよね。鑑賞者としてのファンであっても、そこからプロになる、つまりクリエイター側に行かない。ゴールとしては、評論家や研究者なんですから。実はこの、非クリエイター系が、ある意味で和製サブカルの正体であり、クリエイター系のオタクと対立してきたんですよね。外部から観たら、似たようなもんじゃないかと思うんですが、クリエイターって、ある種のギフテッドであって、非クリエイター系マニアとは本質が違うんですよね。

■評論家・編集者系■

けっきょく、いくら自分が映画や音楽やアニメや漫画に詳しくなっても、クリエイターにはなれない人間は、ある種のルサンチマンを抱え込み、攻撃的になりがち。それでも、職業としては実際は、ただのファンから創作に近いところはあって。それが、評論家や編集者なんですけどね。かく言う自分も、本業は編集者です。ただ、編集者の限界を知るものでもあります。ところが、編集者の中には、自分をプロデューサーと勘違いして、何やらクリエイターよりも上位だと勘違いし始めるんですよね。

プロデューサーはプロデューサーで、また微妙な商売なんでしょうけれど。少なくとも、かなりゼネラリストとして巨視的な視点がないといけないわけで。編集者も、そこは似ていますが。職業として・商売としてやる人間の場合、単にファンの領域で楽しんでいる人とは、自ずと違うんですが。自分の好き・嫌いだけですべてを判断しちゃうタイプもけっこう多い。経営に責任がないサラリーマン根性を持ってると、むしろ権力を持ってるだけに、悪質な存在になります。まさに、ジャンルを潰すマニアが、権力持っちゃう。

ある意味で、編集者や評論家の、非クリエイター系が行き着いた先の究極が、劇場版『進撃の巨人』のシナリオを、いきなり手掛けちゃうという、無謀なところなんですが。自分は曲がりなりにも、20年ほど原作を手掛けて、読み切りを中心に150本以上のシナリオを書きましたが、自分にクリエイターとしての才能は、感じませんしね。

■時代の限界■

昔、友人の会社は割りと服装が自由だったんですが。社長が、Tシャツだけは辞めてくれと言われたとか。理由は簡単で、社長の世代にはTシャツは肌着、丸首と呼ばれた要するに下着で社員がウロウロしてるように見えてしまうと。ジェームズ・ディーンが亡くなったのが1955年。1990年代に70~80代だった社長には、Tシャツにジーンズの若者スタイルは、中年になったときに現れた文化で、ステテコに肌着で町内をウロウロするオッチャンと、あまりイメージが変わらなかったのでしょうね。けっきょく、時代の文化の差なのでしょう。自分らには、プレスリーやビートルズやエレキギターが不良の代名詞だった時代なんて、生まれる前ですし。

「手塚治虫のような漫画であれば許せるが、今どきの絵は卑猥で受け入れられない」と抗議してきた50代の男性もいた。男性は自称・漫画好きであったが、手塚治虫が田中圭一よりも“危険”な作品を描いていることを知らなかったようである。

あはは。まぁ、確かに手塚治虫先生は、エログロナンセンスの元祖で、真面目な『ブッダ』のような作品でも、ちょいちょいエロいシーンを入れてくるんですよね。まぁ、手塚先生の絵がもう、王道中の王道になったので、エロいと気づかないだけで。それは、藤子不二雄のF先生もそうで、エロいんですよ、ああいう文化系の脳が暴走したインテリは。三島由紀夫と手塚先生は、その意味で似てるんですよ。関東と関西の違いはあれど、三島は母親が関西系で、手塚先生は母親が東京で、文化の両面性もありますしね。宮崎駿監督も、確信的にエロいシーンを入れてますもん。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ


売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ