必要なものを必要なだけ手に入れたら、それでいい。
このnoteは約2,500文字です。
目安時間:5~10分
私のライフコーチをしてくれただいさんと、約1年ぶりに話をした。もうめちゃくちゃ楽しくて時間がぶっ飛んでいった(感想)。
その時の話を後日noteにまとめてくださって、それを読みながらニヤニヤしていた。
タイトルを見て「信仰だなんて…いったい何の話?」と思われるかもしれませんが大丈夫、真っ当な話をしています。ちなみに「何を信じるか」の話を持ち出したのは私の方です。
フワッと思っていた確信をモヤのまま取り出したのにも関わらず、その場で見事に言語化してもらえてありがたい限りでした。
先にだいさんのnoteを読んでいただくとして、私が特に「そうだよなぁ!」と感じた箇所を引用して掘り下げさせていただこう。
世の中には、
痩せたら全てが解決する!
お金があれば解決する!
朝活したら解決する!
学歴があれば!
〇〇をしたら!〇〇を手に入れたら!
という信仰が沢山ある。
私が「そうだよなぁ」と感じたのは、「『○○したら』という信仰」について。
思えばずっと、「○○したら」の中で過ごしてきたように思う。
休みになったら、仕事が一段落したら、暖かくなったら、ビジネスが成功したら…
そうやっていつもいつも自分のやりたいことを簡単に後回しにしてきたし、世の中にもこんな言葉はあふれている。
しかし、今思うと自分に対して、すごく申し訳ないことをしてきたと思う。
「本当はこれがやりたいのだろう?ならば目の前の○○をやることだ!フハハ!」なんて、やりたいことを人質に取ってきたのだ。
本当は、「○○したらやりたいことをできるようになる保証」なんてどこにもないのに。
私は個人ビジネスに何回か挑戦しているのだけど、「理想の未来」を考えるワークが多くあった。
なりたい自分や成功したらやりたいことを具体的に想像し掲げ、「理想を叶えるためにビジネス頑張ろうね!」という道筋を作っていくわけだ。
理想を道標、あるいは燃料としてひた走るシステム。明確な目標があった方が頑張れるというのはよく分かるし、何もないよりずっとやる気が出るのは間違いない。
しかし、私はワークをやって理想や願望を明確化した後、心のどこかで「今すぐこれをやっちゃダメなのかな?」と思っていた。
叶えたい理想を一旦置いといて、上手くいくかどうか分からないビジネスをやらなくてはならない…のか?本当に?
確かにビジネスが成功したらお金も時間も手に入る(はずだ)から、その道理は正しい…ように見える。
とは言え、ビジネスを始めた時はいつもやる気だから、理想に向かって頑張る。
でも、この「?」は消えない。
むしろだんだん強くなる。
そして、
今やっていることは、私が本当にやりたいことを差し置いてでもやるべきことなの?
どうして最短距離で掴みに行ったらダメなの?
と、我慢できなくなる。
例えるなら、砂漠で喉がカラカラの状態で、目の前にペットボトルの水があるのに一旦脇にどけて「井戸を掘るぞ!」と地面を掘り始めるような感覚。
「掘れたら飲んでいいだって?いやいやまずその水飲ませてくれよ!」とならないだろうか。
私にとっては、そういう感覚なのだ。
本当は、やっちゃダメなんて誰も言ってない。
目標にしているけれど、それを前倒しでやったっていいわけで、ただ自分で「○○したら…!」と言って勝手に耐えているだけの話。
自分のやりたいことを今やっちゃいけない理由なんて、それが犯罪でない限りはどこにも存在しないのだ。
つい引き合いに出してしまったが、個人ビジネス自体が悪いわけではない。
そこでしか出会えない素敵な人たちや考え方に出会えて楽しかったし、挑戦したことに後悔もしていない。何ならまだ諦めてもいない。
ただ、私はこれまでずっと何かに耐えてきたから、新しい人生を生きる上で、これ以上やりたいことを我慢するなんてもうしたくなかったんだと、今は思う。
とりあえず、気が済むまでこの態度でいようと思っている。
みんな、「欲しいもの」を手に入れるためにお金を欲している。
だから仕事をする。ビジネスをする。副業をする。
お金が欲しいのはなぜかと言うと、自分のやりたいことをするためだ。
それは私も例外ではない。
ただ、私のやりたいことってそんなに多くも高くもないと気づいてしまった。
どうしても必要なのは二人暮らしのための費用と通信費、好きな音楽を聴くためのサブスク代、ごはんを作ったり外食するための食費。ここは削りたくない。削ると心が死ぬ。
しかしそれ以外の物欲はあまりなく、所有したい!ともあまり思わないのでレンタルや中古で十分。図書館最高。
欲を言えば、年に2~3回くらい東京のイベントに行けたらいいなと思っているが、それでも年+4万くらいあったら実現できると思う。
私がお金で買いたいものは少ない。
私が私として心地よく生きていくために、実はそんなにたくさんのお金を必要としないということだ。
だから私は、必要な分だけ稼いだらいいという結論に至った。
結論に至ってからそう経っていないのでまだ実験段階だけど、仕事をする期間とダラダラする期間を分けることにした。年中一定の場所で働くことはしない。
ずっとどこかに属していると良くも悪くも自分を見失うし、メリハリがないし、やりたいことが他にあるのに時間がもったいない。
私の時間は私のものだから、どう使うかも自分で決める。
貯金については、去年手術した時に一時的に実費で支払って痛い目にあったこともあり、有事のためにある程度は必要だと思う。でもそれでも50~100万ほども貯めておけば、あとは貯金をキープしながら時々働いて暮らす程度で十分じゃないかなと今は思っている。
コーチは、こういう生き方を「狩猟民族的な生き方」と表現した。
必要な分だけ調達して暮らす生活。
なるほどと相槌を打った。それはとてもしっくりくる。
これは今の私の生き方であり、もしライフステージや環境が変わったらまた違う生き方になるだろう。
でも、何をしても変わらない生活より、変化に合わせてカスタマイズして生きる方が、楽しいんじゃないかと強く思う。
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