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音声配信を始めてみて思うことと、その派生。

音声配信を最近また始めてみた。

以前は朗読だったけど、今回はおしゃべりの音声に挑戦している。

ここには貼らないつもりなので、興味があればTwitterから探してみて。
やさしい導線になんてしてあげない。



やってみて、話す時に都度「適切な言葉」を探しながらしゃべっていることに気付いた。


話をしながら、頭の引き出しをあさって当てはまる言葉を取り出していくイメージ。


自分が言いたいことに対して一番しっくりくる言葉を選んで口にするから、トークのテンポは二の次になる。

このやり方は自分の内面を深堀りしながら話しているので私にとっては「正確」なのだけど、時間がかかるのできっと「人と話す」には向いていないだろうと思った。




私はどうも、正確さを重視しがちなようだ。

表現は適切か
言葉を誤用していないか
話題に対する返答としてふさわしいか
相手の意図を正しく汲み取っているか
自分の声のトーンは適切か


人と話す時、だいたいこんなことを考えている。

特にあまり話したことがない人と話す時にこの傾向が強まり、何度も話して打ち解けていくと弱まる。


「正しさ」によって防衛しているのかもしれない。


初対面は緊張するし、不安だ。
相手のことを測りかねている状態での雑談は特にしんどい。


やりとりするスピードも、緊張を助長する。

文面でのやりとりでは比較的ゆっくりと考える余裕があるのだけど、会話では「もっと早く」返さなければならない。


だから人と話す時、私の頭の中はフル回転している。

考えることが多い。

音声だと言葉だけでなく声のトーンでも情報が伝わってくるので、楽しいのだけど情報量が多く疲れる。




少し前にTwitterで知り合った方とお話する機会があったのだけど、私のことを「言葉で話を聞く人」と表現してくださった(表現忘れたけど私はこんな感じで受け止めた)。


その方が言うには人の聞き方にもいろいろあって、話を聞いてイメージする人や、感情移入する人など様々なポーズがあるらしい。


その中で私は「言葉を捉えていってる」のだそう。

確かに。言われてみればそうだ、と腑に落ちた。

そしてなぜそういう聞き方なのかを考えてみて、もしかしたらずっと活字の世界に生きてたからかもしれないと思った。


小さい時からジャンルを問わず本を読んでいたし、日記もつけていた。
子どもの頃から話すことに苦手意識もあったから、能力が偏っているんだろうな。

大人になった今でも文字を読む方が楽だし、理解もしやすい。

話していても、聞いたことをイメージするより「耳に入った言葉を脳内で文章にする」ことの方が多い気がする。

私は音声を活字に変換しながら会話をしているのかもしれない。



「読み書き」の能力はそれなりにあるんだと思う。

普通に文章を読んでいてよく誤字脱字を見つけるし、意味を取り違えて使われているのも気になる。
指摘していいものか悩んで結局そのままにするのだけど、モヤモヤする。


私は、文章においては正確さが説得力に繋がっていると思う。

どれだけいいことを書いていても、誤字があると少し残念に思ってしまう。

日記や趣味のものならまだいい。
しかしこれがLPや商用サイトだと本当にもう、いたたまれない気持ちになる。

やっちゃったなぁ、と思ってしまうのだ。



私だって誤字するし、意味を誤って使うことだってある。
だから人のことは言えないし、人のアラを探すみたいで嫌なんだけど、気づいてしまうのだ。


この能力を活かせたら、と思う。

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