「アイデンティティがない」と嘆いたら、それは始まりの合図
(この記事は5/18にメンバーシップで公開した記事です。)
生きづらいと感じている人は、もしかしたら「自分の情報」が足りていないのかもしれない。
サカナクション「アイデンティティ」
サカナクションの「アイデンティティ」という曲をご存じだろうか。
もしなければちょっと聴いてみてほしいのだけど、あの曲はとてもいい自己探求のお手本だと私は思っている。
歌は
と言い切るところから始まる。
1番ではまず自らを「凡人」と言い切り、他人と自分を見比べて、「それが真っ当」と思い込んで生きている。
そして歌詞の主人公は考え始める。
ここではまだ「自分らしさ」は見えていない。
一見答えのなさそうなこの問いに、朝は来るのだろうか?と。
そして2番。
まだ垢抜けてない10代の頃の回想から始まり、やがて気づく。
自分らしさを自分の過去から掘り起こす。
それは間違いなく自己探求の過程だ。
自分が「自分らしさ」の最中にいた頃の経験を、大人になった自分の視点から改めて見つめ、再度構築していく。
これが自己探求、自己内省、深掘りと呼ばれる過程であり、そこで得た情報を再構築したものを「アイデンティティ」と呼ぶのだろう。
この歌は、誰かが提唱する自己啓発でも他人と比べることでもなく、自分自身を掘り下げていくことによって自分らしさを発見していけることを歌っている。
自分らしさを見つける方法は、それしかないと私も思う。
それ「しか」ないと言ってしまうと少し窮屈だが、最終的には自分の中に答えがあるので、最終的にはみんなそこに行きつくと思っている。
自分らしさとは何か
私は自分らしさとは自分が過去行ってきた選択や経験、そしてその時自分の中で沸き起こった感情そのものだと思う。
例えば日本だと小中高大と学んで社会人になる人が多いと思うが、その過程をひとつ切り取っても「なぜその学校に行ったのか」「なぜその働き方を選んだのか」という理由は人それぞれ。
私が冒頭で「生きづらい人は自分の情報が足りないのではないだろうか」と書いたのは、拾えていないパーツがまだいっぱいあるんじゃないか?ということだ。
生きづらい人が自己探求をしていないわけではないと思う。
その人なりに「どうして生きづらいんだろう」と悩み、いろいろな情報を得ているだろうとも思っている。
というか生きづらさを自覚している時点ですごい。
私は「生きづらい」という自覚すらないまま苦しんでいたから。
気づけている時点で本当にすごいんだよ。
誇っていい。
私が生きづらさを手放せたのは、おそらく「どうして生きづらいんだろう」と考えなかったことだと思う。
なぜなら「どうして生きづらいんだろう」という問いには、「あなたは○○だから生きづらいんですよ」という答えが返ってくるから。
○○の中身は大抵自分ではどうしようもない(ように見える)ものだから、そこで思考は行き詰まる。
例えば自分が体型に悩んでいるとして、「自分はどうして太っているのか」と検索することはないだろう。
大抵の人は検索バーに「どうしたら痩せられるか」を入力するだろう。
つまり「どうしたら痩せられるか」と考えられたから、解決策を調べることができた。
生きづらさでも同じだと思う。
重要なのはどんな問いを立てるか。
問いによって返ってくる答えは変わる。
生きづらさを手放したいなら「どうしたら生きやすくなるか」、そもそも「私にとって生きやすい状態はどんな状態か」を考えなくては始まらないのだ。
自分の情報を集める最初のステップ
「私にとって生きやすい状態はどんな状態か」を考えるために、山ほどある自分の情報を整理する必要がある。
一番考えやすいのは「好き嫌い」だ。
好き嫌いの質問は日常で会ったばかりの人でも聞きやすく、答えが返ってきやすい質問だろう。
自分に対しても、そういう「簡単な質問」から始めるのだ。
「アイデンティティ」の主人公のように、これから自分と出会い直すのだから。
「好きなものは何?」と自分に問い直してみる。
同じように「嫌いなものは何?」とも聞いてみる。
それぞれ10個くらい、頑張れる人は20個くらい書いてみるといい。
シンプルで簡単な質問だけど、これが意外と出てこなかったりするから面白い。
もし今すぐ数が出てこなくても、ここで挫折する必要はない。
時間はある。
これからじっくりと知っていけばいい。
問いを頭の片隅にでも置いといて、日常生活を過ごしてみよう。
すると好きなものに触れた時、センサーのように反応できるようになる。
最初は難しいかもしれないけど、そのうちできるようになるから安心してほしい。
反応があったら、メモしておく。
絶対に忘れるからね。
ひとつだけ注意があるとすれば、好きなものに基準を設けないこと。
「コンビニの100円のお菓子が好きなんて…」とか「ひなたぼっこするのが好きなんて…」と思ったとしても、ちゃんとメモしておこう。
好きなものが「他人の目から見てどうか」を考える必要はない。
なぜなら好きなものは「主観」でしか選べないから。
例えば「他の人にこう思われるだろうからこれが好きって言っておこう」みたいなものは、本当に好きなものじゃないんだなって分かる。
逆もしかり。
「他の人にこう思われるだろうからこれが好きって言えない」ものは、自分自身は好きだと思っているということだ。
余裕があれば、嫌いなものも同じようにセンサーを働かせておこう。
そしてメモしておく。
センサーを働かせることに慣れてきてデータが溜まってきたら、改めて「自分の好きなものは何?」のリストを作ってみよう。
以前よりもだいぶ書けるようになっていると思う。
はじめに「好き嫌い」を問う理由
好き嫌いの問いを始めたのは、単にシンプルで考えやすいだけでなく「生きやすさの基準を作るため」でもある。
生きやすさとはつまり「生きる上で困難が少なく、あっても解消できるレベルの困難がほとんどの、攻略しやすいルートを探す」ということだ。
そしてルートを探すうえで目印になってくれるのが、「好き」と「嫌い」だ。
大雑把なくくりだが、
と考えることができる。
よって、好きなものがたくさんあるルートを選べば自分に合っているものに囲まれることになるので、今よりも生きやすくなる可能性がぐっと上がるだろう。
ルートと表現したが、どこかに一本道が用意されているわけではない。
ルートは、例えるなら雲が風に流されて形を変え続けるのと同じように、常に変化している。
だから迷わないように、目印として「好き」「嫌い」をはっきり認識していくことが大切なのだ。
こんな感じの話を延々としているのが私のメンバーシップです。
面白いなと思ったらぜひ入ってみてね~。
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