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盆に帰省

待ち合わせた居酒屋の前でお前を待っていた。
学生時代からの、行きつけの場所。
今年の夏も、結局帰ってきちゃったな。
声よりも先に、見覚えのある影に気が付いた。
へらへらした顔と手が、遠くで揺れていた。
お前は相も変わらず赤黄色のパーマで。
街灯が反射して、店の電光掲示板より目立っていた。
俺たち、いい加減、いい歳なのにさ。
いつまでも若々しいお前が、なんかちょっと羨ましい。
「なぁお前、ちょっと太ったか?」
デリカシーまで当時のままこさえてきたものだから、ぶん殴ってやろうかと思った。

一年振りの店。席。料理。酒。
そして、目の前に座るお前。
並んだ酒と料理に目もくれず、お前は喋りっぱなしだ。
昔からそういう奴だったけど。
「お前、ここ来たらいつもこれ頼むよなあ」
「ほんと、変わらねえなあ」
へらへら喋るお前に、おんおんと適当に相槌をうちながら、油淋鶏を食った。
俺の好きな食べ物は変わってない。
でも、酒の趣味は若い頃より少し変わった。
「お前も飲めよ」
そう促すと、お前はハッと笑って、ようやっとジョッキを傾けた。
「いつまでハイボールなんか飲んでんだよ。おちょことジョッキじゃ、乾杯しづらいったらありゃしない」
「ナハハ、お前が一杯目から日本酒頼むのが悪いんだろが」
酒の趣味が変わらんお前。
飯の趣味が変わらん俺。
何も変わらん、不毛な会話。
酔い夜が揺蕩いながらも、静かに流れていく。

酒だけは飲めるんだな、お前。
何も食わなくなったお前を不憫に思ったりもしたけど、酒が飲めるなら、まぁ、悪くないんじゃないか。
「なんか雰囲気が年々変わっていくな、お前。そろそろ結婚なんかしちゃったりして」
カッカッカと笑うお前は、学生時代から何ひとつ変わらない。
身なりや喋り方まで、子供っぽいままだ。
「余計なお世話だ」
ふんと笑って、それから目を逸らした。
確かに、俺は少し太ったのかもしれない。
それ以外には、特に変わったという自覚は正直あまりない。
だけど人間、歳を重ねるごとに変わっていくのが普通だ。
お前がおかしいんだ。

「なあ、お前、そっちには美味いものはないんか?」
さっきからずっと料理に手をつけないお前に、俺は尋ねた。
「ねぇよ、んなもん」
お前は即答する。
「こっちにはなんもねぇよ。ほんと、なんもない。つまんねえ」
そう言ってジョッキを傾けると、またお前はヘラヘラ笑う。
「ま、おかげさまでストレスもないがな」
少しイラっときた。
でも、やっぱりちょっとだけ羨ましいと思う自分がいる。
そんな自分にも嫌気がさす。
察したのか、お前が尋ねる。
「そっちはそんなに大変なのか?」
俺はまた目を逸らして、おちょこを傾ける。
「んあぁ、まぁ。いっそ俺も、さっさとそっち行きたいわ」
勢いに任せて、つい口走ってしまった。
流石に怒られると思った。
それなのにお前ときたら、ガッハッハと笑い出した。
どんな神経してんだこいつは。

「馬鹿だなあ、お前。なあいいか、聞けよ」
真面目に聞かせる気もない態度のまま、お前はヘラヘラ語る。
「ここにある、お前の好きな飯。お前が飯のあとに立ち寄るだろう風呂やサウナ。この時代に残ってる漫画や音楽。最高だよな?」
うるさいはずなのに、今日で一番、静かな声に聞こえた。

「全部、生きてるうちにしか楽しめないんだよな」

自分で平らげた皿だけを、意味もなく見つめて聞いていた。
「いいよなあ、お前」
鼻で笑った後、空っぽになったジョッキを置くお前。
「いやあ、馬鹿だなあ、お前」
「馬鹿はお前だ」
即座に返して、ふんと笑い返して見せた。
「……ちがいねえ」
少し間を置いて返したお前の笑顔は、なんか落ち着いていた気がする。
寂しかった。

店を出てると、夜風が心地よかった。
今年も、俺たちの盆が穏やかに終わる。
最後の足止めにと、今度は俺がお前にベラベラ喋っていた。
お前もそれに乗っかって、あの頃と同じように惰性でだべった。
「まあ、でも、お前。酒が飲めるだけ良いじゃないか」
「たしかにな」
白い息を吐くお前の横顔。
表情は見えないけど、声色からして多分笑っている。
「お前と年に一回やるこの日くらいだよ、楽しみは」
そう言うお前にすかさず、からかうように言ってやった。
「俺はそうじゃないがな」
パーマ頭の長く伸びた髪の隙間から、お前の目がよく見えた。
「ナハハ、そりゃあよかった」
相も変わらずヘラヘラと返すお前。
でも、本当にそう思ってくれている気がした。

空が明るんできたのが合図だった。
別れの言葉は交わさずとも、自然にそういう流れになる。
「なあお前、また来年も帰ってこいよ」
何本目かの煙草に火をつけていると、お前に言われて、思わず吹き出した。
「馬鹿が。俺が本来言うセリフなんだよ、そりゃあ」
背中から、お前のフフンと笑う声が聞こえた。
「なあ、お前。何もかも生きてるうちにしか出来ないって言ってたけどさ、俺には、生きてるうちにも出来なくなっちまったことがあるんだよ」
ひとつ燻らしてから、空を仰いで言った。
「やっぱ、お前と食う飯が一番美味かったよ。なんていうんだろうな、そこにお前が居たって、一人で食う飯はーー」
ふりかえったら、もうお前はいなかった。
用が終わると、そそくさと帰っちまう所まで、本当に変わってない。

そういう奴だったよ、お前は。

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