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発達障害がある弟の姉の物語。

突然だけれど、私の弟は二人とも(正確にはもう一人は診断名をもらっていない、しかし彼の癇癪には随分手を焼かせた)発達障害だ。

今メディアでも特集が組まれ、本でも多く出版され、その中身は当事者にスポットを当てたものや発達障害のパートナー。専門家の知見や支援方法等、実に幅が広い。

あの話題の発達障害だ。

そして私が子どもだった頃、かれこれ10年前はそもそも話題にすら上がらなかった。支援の窓口も少なかった。世間からすれば、それは私たち家族にしてみても。

「発達障害?」なにそれ病気?

障害?五体満足じゃないか。

という認識だった。

近所のおばさま、おじさま、同級生たち、学校の先生や先生と呼ぶ職業の面々。発達障害のある弟らに向けられるものは、暖かいものではなかった。彼らは冷たい目線を送るくせに腫れ物触るがごとく。

それは弟らだけではなく、一緒にいる家族、私ですらも。

だからせめて、「家の中だけは平穏でいたかった。」「我慢をしても、大人のふりでも、私自身が支援者になっても」だ。

そんな私も気がつけば成人し社会人になり、最近ようやく家から離れることができた。

だけども、だけれども…

子どもの頃に抱えた傷があり、傷は癒えるどころか化膿した結果。現在の私は生きにくさを抱えた、健常者になってしまった。


生きにくい私の名は(きょうだい児)


ここまで読んでいる方は察していると思うが、私自身は健常者の分類に入っている。今病院に言っても、お医者さんは私に診断名はつけられないだろう。(冷蔵庫にコップをしまって翌日、食器棚を見るとコップが見当たらず「なくなった!」と言う位には物忘れはあるが)愛着障害とは言われるかも知れないが、それはまた別のお話し。私自身が医者になり、ラベリングをするとするならば

障害(弟)のあるきょうだいがいる。それが私(姉)。「きょうだい児」である。


一つ確認するべきことがあり、それを伝えなければ多くの誤解や発達障害の当事者。または支援団体から、クレームが嵐のごとく来そうなので断っておく。

「発達障害の当事者は大変な思いや苦労をしている」

これらを踏まえた上で、

「発達障害と一緒に歩んでいる家族も、また大変な思いや苦労をしている。」

と伝えたい。

そこに苦労の優劣をつけるべきではなく、どちらも自分という人生の物語の主人公である。それぞれの物語にはその人視点や苦労、想い等がある。それだけの話しだ。

そして私の生きにくさは何も、障害のある弟らのせいだけではない。

元々何かしら問題のある夫婦の間に産まれてしまった。それも一つの要因だ。



現在のボロボロの私。すなわち再生する旅の途中


そんな私の物語を、もっと言うと私が再生していく過程や、消化していく過去を、未来のきょうだい児に向けて残したい。生き抜くヒントにして欲しい。

ヒントや正解は目の前に単純に表れて、教えてくれる訳じゃない。寄り道や壁の落書きに、あるいは旅の道中に見つけた、役に立つかわからない冒険の書。

このnoteには、「きょうだい児の過去私の物語」と「現在の私の再生物語」を書き綴っていく。

そして生きにくさと共存し、時に乗り越えられていますように。

私の資質が開花し、人と多く結ぶことができる未来になっていますように…


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