ついてまわるラスボス

もう何もかもイヤになっちゃったとき、ボタンを押すだけでこの世から消えることができるアイテムがあったとしたら、わたしはとっくの昔にいなくなっていただろう。

幼少期から不安感が強く、転んで足を擦りむき、じんわりと血が出てきただけでもパニックを起こし、「これ死んじゃわない?ねえ、これ死んじゃわない?」と、泣きじゃくりながら何度も何度も親に尋ねた。
5才になる年に突然保育園に入所させられたときには、「いってきます、バイバイ。いってきます、バイバイ」と呪文のように繰り返し、今生の別れのように毎朝出掛けて行った。
セロトニンなど持って生まれてこなかったのかもしれない、と思うほど常に不安だった。

遊んで欲しいとねだる4つほどのわたしに、低くて冷たい「うるさい」という声と共に、その声音とは真逆の熱い熱いお茶が顔に飛んできたとき、「ああ、この人はわたしのことを好きじゃないんだ」と確信した。この人はわたしのお母さんなんじゃないと、自分を慰めた。だから傷つかなくていいのだと。泣くことなんかないのだと。

三つ子の魂百までとは見事なもので、幼少期に大好きだったくまのプーさんは今でも心の故郷のように大好きだし、長い髪の毛の人形をたくさん集めていただけあって、今でも男女問わず長い髪の人には魅力を感じる。
そしていつまで経っても母が怖い。
「お母さんがいてくるから大丈夫」という安心感を、人生で味わったことはない。
装備しているアイテムを総出で使い、バリアも限界まで張っても、ぐったりと疲れ果てて数日間動けなくさせてしまうラスボスでしかない。
いつだってわたしの心を乱し、わたしを否定し、なのに自分は愛情を欲しがり、娘を自分の言いなりにすることで空虚満たそうとする人だった。

母といざこざが起きるたび、母を消したいと思い、何もかも嫌になって自分が消えたいと思い、でもなんであんな女のためにわたしが消えなくちゃいけないんだと思い直し、家を出て、母に貰えなかった愛情を自ら与え、自らを赦し、30年生きてきた。

自分が何を好きで、何を譲れなくて、何が得意で、何が苦手で、体調良く過ごすにはどんなリズムで生活を送るのが合っているのか、何年も何年も自分と相談しながらやってきた。
出来ないことや、したくないこと、譲歩してほしいことなども口にできるようになってきた。

わたし結構変わってこれたじゃん、と自分の成長ぶりを褒めたくなるタイミングで、母といざこざが起き、自己肯定感を踏みにじられる。

死ぬまでずっとこうなのかしら。

ポチッと、ドロンッと、消えられたらいいのにな。

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