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1足す1は

藤堂志津子先生の『男の始末』という小説を読んでいた。
形態は文庫本で、カバーイラストは、スペイン風邪に倒れたオーストリアの画家エゴン・シーレであった。

「うわ、何そのタイトル。怖っ。俺、始末されんの?」
座椅子に腰掛けて読み更けているわたしの頭上から、男の低い声が降ってきた。
言葉の意味をすんなりと飲み込めぬまま顔を上げると、割と真剣な顔をした当時の恋人が立っていた。

また別の日には「どんな話読んでるの?」と尋ねられたので、「主人公の女の人が、どうにかこうにか結婚したものの今の生活に疑問を感じて不倫をしちゃう話」と答えたところ、「え?不倫願望あるの?」と、これまた割と真剣な顔つきで問われた。

その人にとってはそうだったのだ。

目に見えているものが全てて、1足す1は2で、女の子は男の子に守られる生き物で、わたしが手に取っている物語にはわたしの願望が込められていて、そういうことを真っ直ぐに信じて疑わない。
人間の感情が入り乱れている陰惨な物語が好きなのだと言うと、「ネガティブだなぁ」で一蹴されたこともあった。

なんてシンプルで健やかな世界で生きているのだろうかと、驚愕と羨望で言葉を失ったことを覚えている。

結局その彼とは価値観の不一致(見事にこの定型文がすっきりハマるくらい、それはもう不一致)で別れたのだが、自分とは全くの別次元で生きる健やかな生き物と身をもって触れ合い、思考を味わうことができた貴重な体験であった。








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