欠片いろいろ

いろんな人の欠片を寄せ集めて、わたしという人格ができているなとよく思う。
どれが本来の自分で、どれが貰い物の自分なのか分からなくなるほど、いろんな人がわたしの中で生きている。

感銘を受けて、こんな人になりたいなという憧れを拾い続け、こんな人にはなりたくないという気持ちで自分を律して、継ぎ接ぎの性格を着ている。

いつも陽気で楽しげで、けれど怒ると息もできないほど怖かった小学1年生と2年生の時の担任の先生の一欠片。

メリハリをつけて、楽しいときはパーッと楽しく、けれど注意をするときはしっかり厳しく。

授業中に「トイレに行ってもいいですか?」と尋ねると、嫌な顔もせず、「休み時間に行きなさいよ」とも言わず、にこにこ笑いながら「いってらっしゃい!」と送り出してくれた中学2年生の時の担任の先生の一欠片。

歪んだ固定観念で他者を縛ってはいけない。

好きなものに一生懸命で、好きなものをバカにされると必死に怒っていた、今はもう連絡のつかない過去の友達の一欠片。

自分自身に誇りを持って。

自分の欲望に忠実で、細かいことなど気にせず、心のままに発言して行動していた、新卒で就職した際に仲良くなったあの子の一欠片。

周りの人間は、わたしのことをそんなに気にしていないし、わたしの一挙一動なんて覚えてやしない。だからお気楽に。自分を抑え込みすぎず。

些細な話でもにこにこと楽しそうに反応して、わたしが失敗した時には「大丈夫、大丈夫。今度はこうしようね」と許し教えてくれた、転職先の上司の一欠片。

他者は自分を写す鏡。おおらかに、寛容に。周りも安心して近寄ってきてくれる。

風俗通いやモテたエピソードを意気揚々と語り、わたしを心身症に追い込んだ2歳下の元彼氏。

大好きな人に嫌われることを恐れて、生理的に受け付けない一面を知った時に、無理をして合わせる必要はない。
しんどいと感じたときは、自分の心身の悲鳴をちゃんと聞き入れて、切り捨てる。

気に入らないことがあった、気分が乗らずムシャクシャするからスッキリしたい、言うことを聞かないからお仕置きしなくちゃ、などの理由で、わたしを叩き、怒鳴り、つねり、人格を否定してきた母。

誰よりも、そう、誰よりも、わたしはわたしの味方だと。苦しかったことも、辛かったことも、腹が立ったことも、ずっと一緒に経験してきた。わたしはわたしの一番の味方で理解者だと。

わたしは真面目に、誰かの真似っこをしている。
いろんな人がくれた切れ端を繋ぎ合わせて、あたかも既製品であるかのように身につけ、今日も誰かに会っている。
これが今日までのわたし。誰か一人にでも会えば、一冊でも本を読めば、能動的に受動的に経験を浴びれば、アップデートされた、また新しいわたし。

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