いま
現在のわたしは、独り身、一人暮らしである。
今月30歳になった。
嘱託職員として働いている。
ボーナスは一応あるが、退職金は貰えない。
現在、熱中している趣味は読書で、少しでも空き時間があれば何かしら読んでいる。
ノラ・ジョーンズの音楽は、外部からの騒音消しにちょうどいい上に、文字を追うのを邪魔してこないことに最近気がついたので好んでBGMに使っている。
「いや~30になったら体力落ちたよね」「肌の調子も微妙だし」「ハリとかたるみとかヤバい」「年取ってきてるのツラい」と、同年代の人たちが口々に発言しているのを聞き、「すごい。30の女たち、ほんとに30の女たちみたいなこと言っている。テンプレートみたいなこと言ってるじゃん。30だから自然と言ってるの?30の女の人はこういうことを言ってるっていう先入観が多少脳みそに入ってて、それが出ちゃってるの?」と興味津々になってしまった。
自分で稼いだお金で欲しいものを買い、自身を律しながらお金を貯め、今日は疲れたなという日はお風呂に入らない決断を許し、20時に眠る。
たまに、19の頃に恋をした男の子との出来事がフラッシュバックして、甘酸っぱさや青臭さにひとり身悶えする。
結婚の約束をしていたが叶わず、他の女の子のところへ行ってしまった男の子を思い出すことはあるけれど、わたしの心をチクリと疼かせることはもう出来ないでいる。失恋鬱のようになり、体重は38㎏まで落ちたが、現在の心は至って凪だ。
親は毒気が強く、自分の精神衛生上のために距離を置いているが、両親共60代前後で今のところ介護問題にぶつかってはいない。
父親ほど年の離れたつれあいがおり、大病経験はあるものの、今は元気そうに生きていてくれる。
どんな友人ができようと、どんな恋人ができようと、違和感を抱いていたわたしの唯一の理解者であり、「きみはそのままでいいんだよ」という宝物のような言葉をくれ、態度で示してくれた人である。
今の穏やかな日常を失いたくない。
けれど、生きているものは何もかも動き続けていて、ふとした瞬間に変わってしまうものだ。
ちょっとした相違の積み重ねで、ある日突然、連絡を取ることが苦痛になってしまった友人がいる。
あんなに仲良く関わっていたのに、今ではもうどうやって会話を切り出せばいいのか分からず、話したいことも見つけられずにいる。
転職の難しい年齢になったところで仕事を失うかもしれないし、毒親の介護に直面したり、何かがきっかけで他の友人たちとも疎遠になったりするかもしれない。つれあいがわたしより先に旅立ってしまう可能性はどうしたって高い。
大きな支えを失い、絶妙なバランスが崩れてしまったときに、わたしは一体どうなってしまうのだろう。
その時には『過去』という引き出しに入っている今現在を思い出し、あの頃が1番幸せだった。もうあれ以上に幸せなことなんてないな。と、諦念を抱いて生きるのだろうか。
あの頃が1番幸せだったかもしれないけど、今も今でそれなりに。と、自分を納得させるのだろうか。
その時になれば、自分がどういった捉え方をするのかは分かるわけで、「ほほーう。こうなりますか」と、長い長い期間を置いての答え合わせを楽しみたい。他人事のように感心しながら。
パニックに陥り、茫然自失となることなく、どこか冷静に答え合わせを味わっている自分に居てほしいと願っている。
生きている人間には未来しかなく、その時その時ベストな決断をしてどうにかやっていくしかないのだけれど、後悔しないように、本当にそれでいいのか、と、たまに強迫観念に縛りつけられる時がある。
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