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本末転倒エンゲージメント

非常に分かりやすかったのだ。
「この人はわたしのことが好きなんだな」と、すぐに気づけるくらいには明確に、わたしに好意を向けてくれていたし、言葉にして「好きだ」と言ってくれたし、「結婚したい」と早い段階から、これからのことを提示してくれたし、わたしが落ち込んでいたら、不器用ながらに笑わそうとしてくれた。

テストで99点を取って帰ると、なぜあと1点取れなかったのか、何がいけなかったのかを懇々と問い詰めてきたり、さっきまで笑っていたのに、わたしがふと発した一言で機嫌を損ね、快楽を得るまで叩いてくる母や、「娘のお前が一番大事」だと言いながら、精神的にも肉体的にも虐待を繰り返す母を咎めなかった父や、「あんたは何もしなくていいんだよ」と優しい言葉をかけつつ、わたしの自立を抑え込んでいた祖母よりも、感情も態度も善意も悪意も分かりやすかった。

美味しいものを作れば喜んで食べてくれるし、わたしが街中で冷たい人の態度に傷つけられたことを話すと、わたしへの愛情ゆえに憤慨してくれたし、感動するテレビ番組を観ていたら、人目も憚らず泣きじゃくっていた。

この人と結婚すれば、わたしは幸せになれると思った。それも非常に分かりやすく。

年の差は2つで、医療関係の仕事に就いていて、友達もたくさんいて、学生の頃はヒエラルキーのトップに君臨し、底無しにポジティブシンキングで、たくさん笑ってきた人生だったんだなと一目で分かるくらい、目尻には笑い皺が幾筋も刻まれていた。
この子と一緒になったら、「おめでとう、君は幸せ者だね」のシャワーをいつまでも浴びられる。そう思った。

善意と見せかけたエゴや、愛情と見せかけた無関心や、開放と見せかけた束縛が入り混じったあの家はあまりに複雑怪奇で、ありのままの自分を見せることがどういうことなのか体でも心でも知らずに育った。

わたしはその恋人に嫌われないようにすることに心血を注いだ。分かりやすい幸せを手に入れるために。

結婚の約束もしていたし、幸せに片足を突っ込んでいたようなものなのに、わたしは次第に心身のバランスを崩していった。
異常に神経質になり、嫉妬深くなり、些細なことで苛立ち、激しく泣いた。
「結婚の約束をしてるのに」「結婚の約束をしてるから」という剣を振りかざしながら。
耐えきれなくなった恋人は、わたしと会話をする機会を設けることもなく、「もう無理なことを分かって欲しい」とだけ残して去っていった。

結局わたしはあの子を、幸せになるためのアイテム程度にしか愛せていなかったのかもしれない。
あの子がいなくなったとき、「せっかく幸せになれるはずだったのにしくじってしまった」「あの実家からやっと逃れられると思ったのにどうして」などという気持ちが頭をよぎったことは確かだ。

わたしは安定した安心が欲しかった。
けれどそれは、誰かに貰うものではない。
自分で作り出し、綺麗に磨いて、大切に持っておくものだ。
結婚は安心でもなければ、安定でもない。
幸せになるために結婚をするのではなくて、居心地の良いパートナーと出会った先に、ひとつの選択肢として結婚があるだけだ。

わたしはなんと幼かったのだろう。

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