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デザインの価値

デザインそれ自体に価値はない

デザインというものに少なからず憧れて、日本のデザイナーである佐藤卓さんの"塑する思考"という本を手に取ったら、この言葉に出会ってしまった。じゃあデザインって一体なんなのだろうか。

道端に転がっていればただの石ころ、紙の上に置いてあれば文鎮

今、道に転がっている石ころの前をヒトが通りすぎた。この時その石はそのヒトにとってただの石ころであって何も価値がない。でもそのヒトが石ころに向き直り、手に取ってしげしげとしばらく眺める。それからポケットにその石を入れて家に持ち帰り、机の上の紙の上にそっと置いたとすれば、石ころはそのヒトにとって文鎮としての価値を持ったことになる。

ただの石ころと文鎮になった石ころは何が違うのだろうか。それを佐藤さんは関係性だと説明する。たとえそのヒトに文鎮として使われようと、道端の石ころとして無視されようと、石ころ自体に変化はない。変化したのはヒトの石ころに対する認識、つまりはヒトと石ころの関係性であると。

価値はそのモノ自体が持っている

ヒトと石ころの関係性は偶然変化したもので、石ころが誰に取っても文鎮として機能するわけではない。そこでデザインは石ころが誰に取っても文鎮として機能するような工夫を加えていく。例えば形を整えたり、取っ手をつけたり、綺麗な装飾を施したりと言ったように。

この工夫というのはあくまで石ころが持っているちょうど良い重さ、という価値を引き出すために施すものでしかない。だからデザイン自体に価値があるのではなくて、デザインの良し悪しはそのモノから一体どんな価値を引き出せたのかで決まる。

そして現代のとりあえずオシャレにカッコよく"デザイン"しておきさえすれば売れるという風潮を佐藤さんは本の中で厳しく断罪する。あたかもデザイン自体に価値があるかのような言説に対して、それは違うと明確に否定している。あくまでも価値はデザインを施したモノ自体が持っているのだと。

デザインの価値

ただのモノに一工夫加えることでヒトにとってモノが価値を持つような関係性の変化をもたらすこと、それがデザインの価値なんだと個人的には理解した。そう考えるとデザインってきっと何にでもあてはまるし、デザイナーのみの特権なのではなくてもっと自分みたいな普通の人が気軽に参加してもよいのかもしれない。

全ての人工物がヒトにとって程よい関係性を築いてくれるようにデザインされた社会はとても生きやすいだろうし、佐藤さんがデザイン教育の大切さを訴える気持ちがよくわかる。

ただ、どうしてそうなってしまったんだと呟かずにはいられないモノものが、全くない世界というのものっぺりとしてしまって面白くはないとも思う。ネット民がみんなで優しく笑えるコンテンツがこの世から全く消えてしまったらそれはそれで寂しい。

おわりに

この本を読んでデザインと少しだけ親しくなれたような気がしていている。(気のせいではないことを祈りながら...)

他にも示唆に富んだ内容がふんだんに盛り込まれているので、デザインに興味がある人はぜひ読んでみてください。

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