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IT系のお兄さんと書き物

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読んだ小説、観た映画などについて、ふと考えたこと、あとたまに創作をまとめています。ここだけは特にテーマを設けずに自由に書いています。書いている本人が実は一番楽しいのかもしれません。
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記事一覧

言葉は全然完璧じゃない

僕らは普段、言葉を使うことで自由にコミュニケーションができると思っている。でも言葉自体はとても不確かな存在で、自由に伝えたいことを伝えたいように伝えることが実は結構難しい。 例えば「悲しい」という単語。悲しいシチュエーションは星の数ほどあるのに、その全てを「悲しい」とたった一言で表せてしまう。 それはつまり朝目覚めたら愛犬のペムが亡くなっていた時も、ポケモンのガチャガチャでルージュラが3連続で出た時も、好きだった女の子が友達と付き合い始めた時も、その全てが「悲しい」で表現

無責任でいられること

随分と昔から鈴木敏夫のジブリ汗まみれというラジオのpodcast版を聞いている。もうだいたい全部聞いてしまって、ラジオ音源なのになぜかDVDになっているやつも購入し、今は昔聞いた話を適当に選んでたまに聞く。 面白いのはいつ自分が聞いたかで同じ話なのに印象が違うこと。そういう時に、話を聞くと言うのは、だから多分に自分の状態を反映するものなのだと実感したりする。 鈴木さんはスタジオジブリのプロデューサーで宮崎駿と高畑勲の2人とずっと昔から映画を作っている。でもだからといってこ

海と毒薬 遠藤周作

ボランティアとして、途上国の小学校でパソコンの先生をしばらくやっていたことがある。海に面した灼熱の特に何もない街で、のんびりと現地の子ども達と遊んだり笑ったり、たまに怒ったりもしながらパソコンを教えていた。 こういう話を人にすると大体「良いことをしたね」というような反応が返ってくることになる。それはもちろん嬉しい。 でも僕自身は僕の心の中に根ざしているものが何か知っている。だから自分の中では「良いことをした」という実感をあまり持つことができないでいる。正直に話せば、ボラン

彼女はいつも暖かい

こんな時だからなんでもない話(創作)をショートショート風に。少しでも不安を忘れられるような時間を作ることができれば幸いです。 朝目覚めるといつも彼女は僕に巻き付くように寝ている。完全に抱き枕状態だ。最近少しだけ太ってしまった彼女の少しむくんだ、でもとても幸せそうな寝顔を見つめていると不思議と微笑んでしまう。 今年の冬はいつもよりは暖かかったけれど、それでも気温がマイナス近くになることもあったし、なんだかんだ言っても寒い。そういえば、少し前に出会った友人は寒い寒いと言いなが

卒業式や入学式が無くなることについて思うこと

僕は2011年3月に高校を卒業した。卒業間際は高校生活に思いを馳せたり、新しく始まる大学生活にわくわくしたり、いろんな感情が入り混じってはいたけれど、それは概ねとてもポジティブで色鮮やかなものだったと思う。そう、3月11日までは。 その日を境に世の中は一変し、心の中のあの鮮やかな感情達は徐々に色あせて、そして最後にはみな同じグレーになった。卒業式はあったけれど、それは卒業する3年生とその両親だけが参加する寂しいものだったし、大学の入学式はなくなり、さらに授業開始が1ヶ月伸び

意味が宿るとき

ホルンという金管楽器を学生の時にずっと吹いていた。プロになりたいと真剣に練習していた時期もあった。結局音楽家への道は選ばなかったし選べなかったけれど、大学を卒業するまではずっとホルンを吹いていた。中学生のときに始めたからその期間は10年ほどになる。 でも大学を卒業するときにすっぱりとやめた。不思議とあまり未練のようなものはなかった。ただ少しだけ寂しくて、ぷかぷかと浮かぶ寄る辺のない木片になってしまったようなそんな不安が残った。 自分の楽器を手放したときに、それは同じ楽団の

宇宙太陽光発電

チャーリーとチョコレート工場という映画にもなった本には、実は続きがあってその中ではなぜかチャーリー達がみんなでガラスのエレベーターに乗って宇宙に行く。当時小学生だった僕も流石にエレベーターで宇宙はちょっと馬鹿げているなぁと思いながら読んでいた。(話自体は割と面白い) だから高校生ぐらいのときに実際に宇宙エレベーター構想が世の中に存在していると知ったときには流石に驚いた。漫画ワンピースの空島編の始まりは「人が想像しうることは、全て実現するのだ」的な格言とともにガレオン船が空か

抱擁、あるいはライスには塩を 江國香織

細雪が好きでその話をしていたら、ある友人が「江國香織が細雪を書いたらこうなる」というコメント付きでこの本を勧めてくれた。高校生の頃に江國さんの本を読んでそれからずっと自分の中では不倫小説の人という失礼極まりない(本当にごめんなさい...)認識をしていたから、むしろ興味が湧いて手に取った。 結局誰かは不倫はしているんだけれども、というか不倫のスケールはむしろ上がっているんだけれども、それが物語の中心にはなっていないところが昔読んだ江國さんの本たちとは違っていて、個人的にはとて

われはロボット アイザックアシモフ

われはロボット 1950年 アイザックアシモフ とても1950年に書かれたとは思えないのは、きっと普遍的な内容を語っているからなのかもしれない。ただ普遍的とは言ってもここで描かれているのは人間の感情だったりそういう類の普遍性ではなくて、プログラムにおける完璧なロジックの不完全さという、ややマニアックなものではあるけれど。 ロボット工学三原則 1.人間を傷つけてはならない 2.人間の命令に従わなければならない 3.前2条に反しない限り、自分の身を守らなければならない 物語

哲学な日々 野矢茂樹

哲学な日々 考えさせない時代に抗して 野矢茂樹 2015年 講談社 哲学は体育に似ているという言葉で哲学を語ってしまうのだから、哲学の本を読むぞという肩肘を張って本を開いた人にとっては肩透かしもいいところかもしれない。 野矢先生はとても平易な言葉で、しかし本質的な問いに対してあれこれ言いながら解き明かす、その過程を見せてくれる。それを読んでいると哲学というのは確かに体育というか実技科目であるなぁと納得してしまう。 この本のそれぞれの章は新聞に連載したエッセイということも

渚にて ネビルシュート

渚にて 1957年 ネビルシュート 終わりが確定した世界で出会う平穏 未来は基本的に不確定だから人は不安になるし、またその不確定を少しでも確定したものにするために努力するものだと思う。でも仮に必ず人間の世界が数ヶ月後に終わるという未来が確定した世界では何が起こるか。 この壮大な仮定に対してこの本が描く世界は決してパニック映画さながらの混乱ではなくて、多少の混乱はありながらも驚くほど平穏に生活する人々の姿で、それはパニック映画よりもずっとリアルな世界観だった。未来への期待や