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渚にて ネビルシュート

渚にて
1957年 ネビルシュート

終わりが確定した世界で出会う平穏
未来は基本的に不確定だから人は不安になるし、またその不確定を少しでも確定したものにするために努力するものだと思う。でも仮に必ず人間の世界が数ヶ月後に終わるという未来が確定した世界では何が起こるか。

この壮大な仮定に対してこの本が描く世界は決してパニック映画さながらの混乱ではなくて、多少の混乱はありながらも驚くほど平穏に生活する人々の姿で、それはパニック映画よりもずっとリアルな世界観だった。未来への期待や不安がなくなって初めて、人は本当の自分に気がつくのかもしれない、読みながらそんなことを考えた。

ある意味でそれはとても悲しいことだと思う。だって人は生きている限り常に何かに期待しているし、そして同時に常に不安だからだ。たとえそれが自殺の間際だったとしても、死そのものに期待しているからこそ人はその選択をしてしまうのだと思う。

そう思うと、この世界の人々はとても幸せなのかもしれない。ただ一方でその期待や不安があるからこそ人は頑張るし、そうした人の営みが尊いと思いたい自分がいる。だって自分が今頑張っていることが、むなしいことだなんて思いたくはないから。

ただよくよく考えてみれば、自分だって必ず死ぬから終わりは確定している。でもあんまりその事実と向き合うことがないのは、自分にとってはまだ死すら不確定で、だからこそこの本の世界の人々のように、自分にとって1番大事なことに向き合う機会があまりないのかもしれない。そういう生き方は本当に幸せなのだろうか。

そんなこんなをこの本を読んで考えた、ある冬の夜でした。

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