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3-2.汐月陽子メールインタビュー

1.「現代魔女」を名乗る理由を教えてください。


 いろんな語り方ができると思っているのですが。発端は八年前にあって、その頃には「現代呪術家」と名乗っていました(笑)。今で言う、「地域アートプロジェクト」のディレクター見習いみたいなことをやっていまして。わたしはもともと美術系の出身ではなかったので、すごく不思議がられたと言うか、地域にも「アート」にもそんなに関心があった訳じゃなくて、それまでどちらかと言うと、社会学の、エスノグラフィと呼ばれる領域に近いことをやっていたんですね。社会のなかで聞こえにくくなっている声を拾って、そこから社会構造の問題を考える、みたいな。そこから表現や芸術に関心を移すんですけれども、地域を通して関わるかたがたは、最初はわたしに対して、いわゆるまちづくりや芸術の専門家なのかな?と思って関わらはるので、混乱が生じてしまうという問題があって。そういう先入観を取り払ってもらって、「あなたの声を社会に反映させるためにやっているんです」っていうことを伝えるために、現代美術家のもじりで、現代呪術家って言うようになりました。
 わたしが著作から大きな影響を受けた劇作家の福田恆存さんや、わかりやすいところで言えば岡本太郎さんなんかが、現代における美術の作用は古代の呪術と同じである、と書いていらして、理論的背景としてはそういうものもあります。
 その後、民間企業に入って市民運動への支援をしたり、個人としても表現者を支えることを長年やってきていますが、これは全部「当事者性を持った個人が、社会に対して打撃力を持つ」過程に関心と希望を持ってしていることで、わたしのなかでは繋がっています。こういう活動は本質的に「呪術」であって、それを束ねるのは「魔女」の仕事、という認識です。
 ちなみに今回、茂木さんと一緒に『魔女・産婆・看護婦』を紹介させてもらいましたが、フリーランスとしてしている企画仕事のパートナーからは「他者の中にあるかたちになっていないものを、社会におぎゃーと引っ張り出してくる産婆」と言われています(笑)。

2.今までやってきたこと、今やっていることは、社会をどのように変えると考えていますか?また、自身がよく生きることとどのように関係していますか?


 社会……変えるんだろうか。いやなんかいきなり混ぜっかえすようなこと言っちゃってすみません(笑)。でもね、正直、信用ならないと思う訳ですよ。「わたしがやっていることは社会をこう変える!」とか言い切れちゃう奴って。と、いうことを前置きした上で、ここから先を読んでもらえたら嬉しいなと思います(笑)。

 わたしが今フリーランスとして声を掛けていただく仕事や活動は、今回のものを含めてほとんどが、突き詰めれば「お客さんを混乱させたり、悩ませたりして欲しい」というオーダーのものです。答えを出すのではなくて、選択肢を拡げるようなことに強みがあると思ってますし、そういうことをやっている自覚があります。
 このインタビューが世に出る頃には終わっているのかな、京都で続きもののまちあるきのプログラムをやってまして、わたしはディレクターおよびアーティストとして関わっていて、朗読劇のようなことをやっています。いわゆる被差別部落の地域を歩いたりしているのですが、わたしがそこに挿入する物語は、近現代の状況に繋がるような、でも歴史的にはもっと古い、平安時代の話だったり、江戸時代の話だったりがモチーフになっています。お客さんが、歩きながら、ここで暮らしていた人はこうだったのかな、それともこんな風だったのかな、って、ためつすがめつ考えることを誘っている。
 お客さんに訊かれてお答えしたことがあるのですが、これは以前わたしが被差別部落に生まれた人と恋人関係にあって、そのときにこう、彼の当事者性に、非当事者としてどうやって触ったら痛くないのかなとか、ずっとそういうことに悩んできた。悩むっていうのは必ずしもネガティヴな意味じゃなくて、そのことを通して、自分で言うのも変ですが大人になったところがあると思っていて、その態度をどうやったら再現できるんだろう、と考えていたら作品が出来てしまった、という感じなんです。

 わたしはあまり頭が良くないので、大文字の政治とか、ロビイングみたいなことはちょっと身に余る部分があって、そうやって自分の企画や作品をきっかけに考えてもらうしかできない、みたいに思ってるところがあるんですね。その先に社会がどう変わるかは、今の例で言えば完全にお客さん次第だと思ってます。ただ、わたし自身は、そうやって他者の壁にぶちあたったりそのたび考えてきたりしたことに支えられて、今「よく生きて」いる実感があるし、自分以外の社会のことが、解決すべき問題を含めて、だんだん分かるようになってきたとも思っています。そういう経験の力を信じているので、多くの人が他者に出会う機会を作るために企画を打ったり、表現をする人を支えたりということをしているんだと思います。

3.渋家(※1)やココルーム(※2)といった「場所」との関わり、またそれらを含んだ「アート」との関わりが目立ちますが、そういったことは取り組んできたことの中でも特別な意味を持っているのでしょうか?

 ココルームはそうですね、特別ですね。ココルームに出会う前のわたしがやっていたことは社会学に近いですし、現在の「社会の中で個人に起こったことの意味付けを変える」という問題設定の背景には精神分析も関係すると思っているのですが、学位は実は人文系ではなくて、法律の学部を卒業しています。大学在学中は、言うてもまだ子どもですから、自分の問題意識を社会に反映させるやりかたが「むちゃくちゃ勉強して弁護士にでもなるか、地方公務員試験を受けてなんとか福祉職にありつく」みたいな方法しか思いつかない訳です(笑)。
 わたしは大学を三留したのですが、留年1年目で初めて恩師と呼べるかたと出会い、そのかたにココルーム代表の上田假奈代さんを紹介していただきました。こんなにも徒手空拳で社会と取っ組み合っている人がいるのか!とすごい衝撃を受けて、芸術ってなんだろう、大阪の貧困問題って?とどんどん気になっていって、気が付いたら東京から大阪市大の公開講座などにも通うようになっていました。

 鷲田清一さんの『素手のふるまい』ではないですが、生きる上での個人的な苦しみとか、貧困や差別などと「素手で」取っ組み合うための、言ってみれば生存のためのart(技術)の一つがアート、芸術なのだろうと思っています。この技術はマニュアルに書けるようなものではなくて、口伝のようなものだと考えているのですが、場所があると技術を蓄積、伝達しやすくなるのかな、と思います。
 渋家には半年ほど住んだことがあって、わたしの場合は参与観察的なモチベーションが大きかったのですが、食住を共にすることで技術を共有しているという感じは、当時のメンバーを見ていてかなり感じました。東京の渋谷区という大都市でああいうことをやり続けているのは尊敬するし、あれ自体が演劇だとか作品だという彼等自身の説明についても、賛否両論あるようですが、わたしは一度住んだ上で深く納得しています。今は家としての渋家よりも、株式会社である渋家の方がそういう色は強いのかな。

 芸術それ自体を特別だと思ったことはないですね。「居場所」みたいな問題意識にも、個人的には実はかなり強い嫌悪感を持っています。わたしが関心があるのはあくまで「個人の引き受けた体験が、そのひとの内部でさまざまな葛藤を経て、社会に還元されていく過程」、一言で言えば当事者性と表現の問題です。
 とは言え、「表現」の一形態として芸術はあり得ると思っているし、やりかたにもよりますが、多くの市民運動よりも、過程における「自分に問うて葛藤する」要素は強いかもしれないと思っていて、「アート」のそういうところには希望を抱いています。また、「当事者性」について葛藤を生じたり、共有したり、表現する技術を洗練させていったりする上では必ず他者が必要になってくるので、その握り合いと試行錯誤のために「場所」があるというのは、悪いことではないのだろうと考えています。

(※1)渋家(シブハウス):東京都渋谷区南平台(2017年現在)にある、屋上付き4階建ての一軒家およびそこで活動している集団。いわゆるシェアハウスのような形態で、アーティストやクリエイターの若者が共同生活を送っているが、家自体に重点があるのではなく、渋家自体がコミュニケーションを主体とした美術作品と定義される。作者は美術家の齋藤恵汰。過去の活動と株式会社設立の経緯については https://www.manetama.jp/report/shibuhouse/

(※2)ココルーム(NPO法人こえとことばとこころの部屋):誰もが立場にかかわらず共に過ごし、表現し、学び合う場を模索し、実践し続けている団体。代表は詩人の上田假奈代。日本最大の「寄せ場」として知られてきた大阪・釜ヶ崎に拠点を起き、現在はゲストハウスも運営。近年は「釜ヶ崎芸術大学」などの活動で知られている。
https://cocoroom.org/cocoroom/jp/

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