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森見登美彦 著「夜行」考察その1

こんにちは

最近森見登美彦著「夜行」を読みました。怪奇話で、森見さんの「きつねのはなし」「宵山万華鏡」に続く、怪奇話第3弾と勝手に数えています。

読んだ感想は、ほかの方もおっしゃっていますが伏線回収があまり行われず、解釈の幅が広いというか、発散してしてしまってヨクワカラン。「きつねのはなし」に近い、というかそれよりだいぶ難しい。私は森見さんの小説を読むときには人物をメモしながら読むのですが、読後にメモを見ても結局誰がどこに行ってどうなったか確証が持てません。これはつまり、各読者が仮説を立てて楽しんでほしいということなのだろうなと考え、その思惑に乗っかった人のメモです。

注意:これより下には小説「夜行」のネタバレがあります。

この本は時間を前後して話が展開されるため、これとそれってどっちが先だっけ、ってわからなくなりやすい。さらに、例えば5年前の話をしている人が「そういえば3年前」みたいな感じで時間軸をウロウロするので、仮説を立てる前に事実を確認する必要があると思い、事象を時間順にしてみました。本が出たのが2016年10月なので、本で現在行われる「鞍馬の火祭」も2016年10月ということにして、年齢も全員現役合格&留年なしという前提です。

夜行での話をしてくれる5名と、曙光世界で出会う2名です。色はそれを語ってくれた人、ということになっています。全体の語り手は大橋さんですが、大橋さんが誤りなく伝えてくれているとします。

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すでに仮説が入っていますがそこは後々説明します。夜行遭遇・変換といっているのは、なんかもやもやしてるのですが、作品を通して「夜行」という銅版画を見るという行為が何かしらのトリガーになっていると考えます。そこで、

定義: 夜行遭遇
 版画「夜行」を見て、「こちらに手を振っている」人が見える

版画を見ても、シミしかみえないものは含みません
定義: 夜行変換
 夜行遭遇の後その景色の近くで失踪する(他人視点)あるいは夢のような闇のような世界へ入る(本人視点)

の二つを定義します。遭遇と変換を分けるのは、版画を見てすぐに失踪したりするわけではないためです。その場所へ行くまで何か月もかかる時があります。

ホテルマンの夜行世界に*がついているのは次回。

私はこの本を読む前に、「きつねのはなし」と「四畳半神話体系」を読んでいて、これらとの類似性のようなものを感じながら作品に接したうえでの、個人的な解釈を続けていきたいと思います。正直類似性があったかどうかはわかりませんが、「きつねのはなし」がとてもよくできた話でなかなか頭から離れないまま読んだので、必然的にこちらの作品の話を引っ張ったり、つなげたがったりしているのです。スミマセン。

というわけで、次回は「きつねのはなし」と合わせて解釈をしみたいと思います。

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