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#041: 残りの人生で,もう鬱映画は観られないと悟った件

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で、自分を甘く見ていたことを自覚する

映画やドラマが好きで、昔はホラー&スプラッター以外は何でも観ていました。ひとつの表現だし、描くことができる以上、この世に「無いものではない」と思っていたから。

それでも、歳を重ねるたびに悲しいストーリーが苦手になっていることは自覚し、意識して避けていました。精神的に悲しみの底へ引きずり込まれるようなシーンは、劇中のごく一部でもエネルギーが要るようになったからです。鑑賞後、ヘトヘト疲れて回復にとにかく時間がかかるのは歳のせいかな?と思っていました。

そんな私が、なんとうっかり映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観てしまいました。ちょっとした事の成り行きで…。
悲劇の物語ということは知っていたし、公開当時から「たぶん…無理!」だと思って避けていた作品だったのに…。
不覚にも「いけるかも…」と思ってしまったのです。自分を甘く見ていた反省しています。
※映画のあらすじについては、思い出すと辛いので省略します。

鑑賞後に気づいた「できれば悲しまずに生きたい」

『悲劇は喜劇なり』という言葉が好きで、私は自身に降りかかる悲劇もどこかに笑える部分があるのではないかと探しながら生きてきました。
「なんでそーなるのぉ?!」
という憤りの中からも滑稽な部分を見出して、「笑ってしまえ!」と思う癖がいつのまにか出来ていました。
人にはそういう心の免疫力、防衛反応なるものが備わっていると思っています。比較にはまったくなりませんが、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の主人公セルマにとってのミュージカルのように…。

ところがです‼ そんな心の処方箋は、効かない時は効かないんですね。
徹底的に打ちのめされて、闇の奥まで連れていかれても、まだ底が無い…という悲劇を描いたこの作品を観て、
「ごめん…こういうの…もうイイや…」
と心から思った次第です。

目を背けてはいけない現実がある中で

それは私がちょうど、近所の友人から、貧困、被虐待、ヤングケアラーの子どもたちの話を聞いたというのもあるかもしれません。
世界は戦争だ、災害だ、貧困だ…などといろいろ語られ、ニュースや動画サイトでそういった悲しい現実を見て心痛むことがありますが、結局、私の中にはこれっぽっちも現実味なんて微塵もなく、違う世界の話だと線を引いて眺めていただけなんです。
なんとなく無事に生きている自分の見識の狭さに呆れつつも、この年齢までくると、「ごめんなさい…もう、無理です!」と、そこに真正面に向き合う気力、体力はもう残っていないことも自覚してしまいました。

優しさと心地よさを選んで、心の免疫力を上げていきたい

歳を取れば丸くなる。
歳を取れば器が大きくなる。
…と言われていますが、私はその逆をいっているかもしれません。
とにかく「悲しみ」に弱い。悲劇が大嫌い。それが自分であっても他者であっても、見たくもないし、触れたくもない。
若い頃は、なんとしても抗おうという気力があったし、どうにかしたいという信念すら抱いていたつもりなのに。

とにもかくにも自分に優しくありたいと願うようになったのは、私がその逆にあるからか?歳を取って根性がなくなったからなのか?

そんな弱い自分を自覚するために、映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観る機会が訪れたのかもしれません。

ご自身の心の強さを確認したいと思う方におすすめです。
私はとりあえず頓服で『マツケンサンバ』を観ながら一緒に歌って、回復薬になる映画を観たいと思います。

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