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#04:壊れた眼鏡を前にして懺悔、自分をもっと大切に…

買っては壊し…の繰り返し。老眼鏡の悲しい運命

私はまたやってしまった…。
先日、行きつけの本屋の隅っこにある眼鏡コーナーで買った老眼鏡を、使用2か月も経たないうちにまた壊してしまった。
衝動買いしたのには訳があって、コンパクトに折りたためる形状と専用のコンパクトなケースが日常使いの鞄につけておくのにぴったりだったからだ。
これで外出時にうっかり「メガネが無い!」「見えない!」という悲劇に襲われることなく過ごしていたのだが…。

これで何度目だろう?
壊した眼鏡の数…恐ろしくて思い出せない。

私が老眼鏡を買ったのは今から7~8年前になるだろうか。
視力の変化が気になった私は何か目の病気ではないかと思い、近所の眼科で検診を受けた。
「なんか…いろいろ…見えづらいんですよね…。これは、どこか悪いのかと思って…」
医師に相談すると、あれこれいろいろな検査をした後、
「仕方ありませんねぇ。これは加齢によるものです。」
とアッサリ言われてしまった。
結局、メガネ屋さんに直行し計測した視力に合った眼鏡をつくり、なんでもよーく見える世界に驚き感動したが、その眼鏡も1年は持たなかった…。

私はもともと視力はかなり良かったので、老眼に悩むまでは眼鏡生活の経験がなく、ゆえに扱いにも慣れていなかった。
この不慣れのせい…は言い訳だが、私はとにかく眼鏡を壊す。
私がおかしいのだろうか?みなさんはどうしているのか?
そんなことを考えていろいろな対策を講じたが、ハズキルーペのCMを見た時、「老眼鏡をすぐ壊す」という悩みはけっこう多くの人が経験するのではないかとちょっぴり安堵したものだ。

折れたテンプル(眼鏡の腕の部分)を撫でながら
「ごめんなさい」と私は静かにつぶやいた。
これは、眼鏡の神様に叱られるな…供養…いや、懺悔をしないと…。
そう思い、[眼鏡] [供養] と検索をかけるとあるある眼鏡供養。
これを知り、私は今年は眼鏡供養に参加することに決めた。

眼鏡を大事に扱うことは自分を大事に扱うこと

あまりに壊しまくるので、百円ショップのメガネを2本も常備して、「いつ壊しても大丈夫」と思う心がいけないのだ。
私にとって老眼鏡は、私の目そのもの。これがないと手元の文字はぼやけて見えないし、本を読むのが好きな私にとって文字が見えないはQOLが著しく下がる。今では料理をするときにも必須だし、眼鏡なしでは生活できない。

フレームに囲まれた小さな透明な窓は、私に世界を見せてくれる。

壊れた眼鏡を前に手を合わせながら、すぐ壊れるからと雑な扱いをせず、大切に使うことは、私自身を大事に扱うのと同じだということに気づいた。
私は静かに目を閉じて、
「ごめんなさい。…もっと大事にします」
この言葉は眼鏡に対してだけでなく、自分自身に対する言葉だった。すると頭の中にふんわりと観音様が姿を現し、千手に壊した数々のメガネを持ちながら、こう言った。

まだまだあなたにはこの世で見たいものがあるでしょ。大事にしなさい

▼▼▼最上川えつこのエッセイ第2弾『アラフィフ歌会始』▼▼▼
読んでみてね~♪


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