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【短編連載小説】#003:繰り結び ― Episode1:みずのおと

★短編小説 #003:繰り結び ☆もくじ

・Episode1 : みずのおと (←いまココ
・Episode2 : インタレスト

★バックナンバー

★現在2作品。
#001:グッバイ!タモリ倶楽部
#002:モザイク(全5話)
は、のマガジンに掲載しています♪

Story

[ ゴメン。30分くらい遅れちゃう ]
待ち合わせ場所にしていた駅前のブロンズ像が見えてきたところで、これから会う約束をしていたレナからLINEのメッセージが入った。私は『OK!』の文字が入ったネコのスタンプを押して、
[ じゃ、17時半ね ]
と返信した。

すでに到着したがここでずっと待つ気になれず、近くでひと休みできそうな場所がないか改札に掲示された周辺マップを見るために、再び駅に戻った。
この街は都心からはほんの少し離れたところにあるが、最近、サブカルチャーを楽しむ若者に人気を集めているだけあって、多くの人で賑わっている。駅前から順にファストフード店、コンビニ、今流行りのガチャポンの店、雑貨屋や古着屋などが続き、その間におしゃれなカフェもあるので休むところには困らない。でも、今日はなぜか私が知らない場所が近くにないか気になって、周辺マップをチェックしたくなった。

(あれ…こんなところに図書館?)
賑やかな商店街がある駅の南口と線路を挟んで反対に位置する北口では同じ駅前とは思えないほど世界が違う。北口を出るとバスが1台停車できる程度の小さなロータリーがあり、そこを越えるとすぐに住宅エリアがはじまっている。そこに小さく市立図書館分室という表示があった。
(図書館なら落ち着いていそうだし、しかもタダで休憩できるな…)
待ち合わせ場所から歩いて5分もない場所にあるこの図書館で、私は時間を潰すことにした。
 
普段からよく出歩いている街なのに、反対の改札を出たのは初めてだ。地図でチェックした道を歩くと、防災対策で作られたと思われる遊具が1つもない小さな公園の脇に例の図書館が建っていた。古い建物のようで、白色の外壁は綺麗だったが何度も塗り替えられていて、ところどころにペンキのヒビが走っている。
入口の重い扉を開けるとすぐに階段があり、階段脇の通路右手に『こどもの本』と書かれた木製のかわいらしい看板がかけられた部屋の入口が見えた。
階段を上がると2階フロアにつづいている比較的広い踊り場に、長椅子が3つと、丸椅子が3つ置かれたスペースがあった。奥に並ぶ書架スペースとの境を区切るように、『今月のオススメコーナー』と書いた紙が貼られた白い大きな棚でできたブースが中央に置かれていて、整然とした館内とは対照的な装飾が施された展示が目に飛び込んできた。
『雨の日特集』
ちょうど梅雨だからだろう。雨をテーマにした写真集や小説、科学の本などが並べられている。棚板のあちこちにカラフルな用紙を使って本の紹介文を書いたPOPがあり、色鉛筆で彩色されたイラストが添えてある。職員の私物なのか、可愛いカエルの人形がところどころに置かれていて、吹き出しの形にカットした紙に書いてある「雨の日は読書日和」「なに読む?」というセリフが微笑ましい。
(図書館職員はディスプレイセンスも大事なのね。)
感心しながら並べられた本を眺めた。

ブースは3段になっていて、一番上の棚の中央には、建物の入り口脇に咲いていた紫陽花が飾られている。小さな緑色の花瓶の前に、『水が入っています。花瓶に触れないようお気をつけ下さい』という札が置いてある。大きさの割に厚いガラスでできていてどっしりとしている花瓶はよほどの力が入らないかぎり倒れそうもない。
(本を置いている場所だけどよほどの大地震がないかぎり、この花瓶は倒れそうもないな…。)
紫陽花の今様色のグラデーションに見とれていると、白いシャツに茶色のエプロン身につけた図書館のスタッフらしき男性が近づいてきた。
「すみません。本を置かせていただいていいですか?」
「あ…はい。すみません。花に見とれていて…。」
慌てて私が後ろによけると、男性は、
「入口の紫陽花が今年はとてもよく咲いたので、剪定にカットした時にもったいなくてここに飾ったんです。」
そう言うと、少し屈んでブース2段目の棚の本を整えながら、手に持っていた本を置いた。背後からその仕草を見ながら私は、
(手のキレイな人だな…)
と思った。
 
陳列を終えて、男性が「失礼しました。」と言って立ち去ろうとした瞬間、思わず私は、
「あの…ここにある本の中で、何かオススメはありますか?」
と早口で話しかけていた。これには自分でも驚いた。
「え?」
慌てて言った私の声がさっきよりも大きかったことに驚いたのだろう。男性は背中を小さくビクッとさせ、振り返ると少し目尻を下げて、
「ふだん、どんな本を読まれますか?」
と、私に質問した。
「ふだん…。…あの、すみません。私、今までにちゃんと本を読んだこと…ないんです。」
私は恥ずかしくなって男性から目を逸らし、紫陽花のほうへ顔を向けた。
「そうなんですか。じゃ、この本なんかどうでしょう?」
男性はブースの2段目の隅に置かれている水色の本を取り、私に差し出した。
「この本は、雨をテーマにした短編を集めたものです。ところどころに挿絵が入っていますし、行間もゆったり取ってあるので読みやすいですよ。作者はいま若い人から人気がある映像クリエーターです。」
「へぇ…。」
水彩絵の具をにじませたような水色の中央に小さく『みずのおと』とタイトルが書かれている素敵な本だ。

パラパラとめくると、シンプルな線描がところどころに配置してあり、行間がほどよく空いているので、読書に馴れていない私にも読めそうだ。
「ありがとうございます。借りてみようかな…っ、あっ…そういえば、図書館の利用者カード、持ってなかった。」
読書の習慣がないということは、もちろん利用登録などしたことはない。手間がかかるのだろうか。本を持ったまま私は少し困った顔をした。
「この区に在住、在勤、在学の方ならどなたでもご利用できます。免許証か学生証、通学証明証など、身分を証明できるものがあればすぐに登録カードをお作りしますよ。」
「あ…はい。私はこの区にある大学の学生証を持っています。」
「それは良かった。では…。」
男性はそう言うとカウンターのところへ行き、用紙を取って私のところへ戻ってきた。
「ここに必要事項をご記入いただき、証明できるものと一緒にご提示していただければ、すぐに利用者カードは発行できます。すぐにカードを作りますのでこちらへどうぞ…。」
先ほど私が見とれた美しい手の先を追って貸出カウンターへ進むと、その手は机の上のペン立てから1本のボールペンを取って、私に向けられた。
「こちらにお座りになって用紙にご記入ください。」
そう言うと、男性はカウンターの縁に沿って奥にある出入り口に行き、カウンターの奥からふたたび私のほうへ向かってきた。
 
「これで、いいですか?」
私が記入した用紙と学生証を提示すると、
「はい。登録しますので少しお待ちください…。あっ、渓陽大学の方なんですね。実は、僕も同じ大学の出身です。」
「え?じゃ、図書館司書を取ってこちらに?」
「はい…といっても、僕は市の職員採用ではなく、実はこの図書館の運営は民間委託されていて、その会社の社員なんですけれど…。」
「そうなんですか。今は、公共の施設も民間に委託するのって多いですもんね。」
話をしながらも男性は、PCに向かって利用者登録情報を手際よく入力している。私は、キーボードを軽やかに叩く彼の指を見ていた。
「出版社に入社して、本当は編集の仕事をしたかったんですが、図書館運営のほうに配属されて…。あ、でも、すごく勉強になるんです。今多くの人に読まれている本を調査したり、あのような企画ブースを作ったりて、本の勧め方が実践できるので。」
言い終えると、顔をこちらに向けたので、私は慌てて彼の指から視線を外した。
「出版社に就職なんてすごいです。本を読まない私には未知の世界です。」
「そんなことはないですよ。出版業界は今、デジタル化で厳しい状況ですし、本を読む人の数も減っていて…。そんな中で、本を読んでくださる方が増えてくれれば、読書好きとしては嬉しい限りです。」
 
休憩と暇つぶしに入ったつもりの図書館で本を借りるなんて、想定外のことをしているなと自分でも驚いたが、こんなことでもなければ本なんて読むチャンスがない。いいきっかけだと思う。
男性が利用者カードのパウチ加工しているのを待っていると、カバンの中にあるスマホのバイブレーションが響いていることに気づき、私は、「ちょっと…すみません。」と言って、急いで2階の階段の踊り場まで行き、レナの名の表示の下にある丸い通話ボタンを押した。
「いま着いたけど、どこにいる?」
ヤバい!約束の時間に、今度は私が遅れている。
「ごめん、近くの喫茶店でお茶を飲んで、トイレに行こうとしたら待たされて…。ちょっと待ってて!」
手で口を覆いながら小声で適当な言い訳を言うと、
「オッケーッ。慌てなくていいからね~!」
と私の声より大きな音がスマホから響くのが分かったので、慌てて通話ボタンをオフにした。
カウンターへ戻ると図書館の利用者カードは出来上がり、本の貸し出し手続きも完了していた。
「返却は2週間以内にお願いします。」
男性は、水色の本と一緒に利用者カードと図書館の開館スケジュールが書かれたチラシを私に差し出した。
(キレイな…指…)
再び見とれてしまいそうになったが、待ち合わせ場所に戻らなければと焦っていた私は、それらを受け取って軽い会釈で返事をすると、図書館を後にした。
 
***
 
1週間前に彼氏と別れたレナが「おねがい。ちょっと話を聞いて!」というので、今日はやけ酒に付き合うつもりでいたのだが、会ってみると思いのほか彼女は元気になっていて、
「いつまでも引きずってたってしゃーないじゃん!」
と、最近始めたカフェのバイトで知り合った気になる社員さんの話をはじめた。先週は心配するほど沈んでいたのに、もういつもの彼女に戻っていて安心した。さすが、レナらしい。
 
帰宅して、ひとり部屋で本を開く。
 
1話目のタイトルは『なみだのあめ』。
雨粒の中に女性が立つ姿が挿し絵になっている。失恋を癒す雨をテーマにした優しいストーリーで、高校時代の自分のほろ苦い恋愛の思いでを重ねた私は少し胸が痛くなった。不器用でまっすぐな主人公の女性が、大雨の中で傘もささずに、自分の涙を洗い流すシーンは、自分の場合は雨ではなかったがシャワーで似たようなことをした覚えがある。
(切り替えが早いあの子には響かないだろうなぁ…)
挿し絵を見ながら、レナのことを思い出した。
 
どの物語も、流れるような文体で読みやすく、描かれる世界はどこか自分の経験と重なる。夢中で読んでいたら、いつのまにかラストの10話目『天泣(てんりゅう)』に目を通していた。
荒んだ生い立ちの中で暴力事件を起こしてしまった17歳の少年が、鑑別所で中学時代の担任教師から差し入れられた本に救われ、希望を持ちながら更生へと向かっていく姿を描いた話だ。我が身の出生を憂いていたのは自分自身の他ならないことに気づき、自らの力で幸せ、つまり晴れた世界へと歩みを進めていこうと決意したその時に、空からパッと散るように降り注いだ雨、つまり天泣が祝福となって彼に降り注ぐ…という話だった。
私はこの物語の主人公ほどではないが、自分を生んでくれた母を幼いころに亡くし、6歳の時にやってきた後妻さんと、その後に生まれた腹違いの妹の4人家族で育ってきた。後妻さん、今は母と呼んでいる彼女からひどい扱いを受けた記憶はないが、本当の母ではないことにどこかで遠慮しながら私は成長した。早く自立したい気持ちがあったので、大学は実家から離れた東京を選び、一人暮らしをスタートさせたのだ。
 
本を読む習慣が全くなかった私がこんなにスムーズに、しかも夢中になって読み進めたのは意外だった。行間を追うと自然に物語の中に入り、自分が活字の世界に身を置いている感覚になった。読書はこんなに楽しいものだったのか…。なぜ今まで知らなかったのだろう。

時間があればスマホを覗いて、動画やSNSを見て…気づけば本を読む時間なんてなかった。部屋でひとり本を読みたいなどと考えたことがなかった。
ところが、昨日はいつもと全く違った。レナと飲んで帰宅したのは21時過ぎ。普段はシャワーを浴びて寝る支度を終えると眠りにつくまでスマホを見るのに、本を開いた22時過ぎから流れた時間は、いままでとは全く違う、濃厚で穏やかなものだった。
結局、借りた当日、厳密にいえば時計は午前0時をまわっていたので翌日に本を読み終えてしまった。
「ほかにも面白い本があるかな…。」
授業帰りに図書館に立ち寄ることにした。

Episode2:インタレスト へつづく

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