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「言葉」

昨年、私は部活で「執行」をしていた。
「執行」とは、部活の幹部みたいな存在感で、展示会や行事などを担っていく係である。
詳しくは「過去のトラウマ」を参照していただきたい。


さて、ここからは部活の「文化会会報」という文書の話だ。なぜか、我々、文化の部活には、「代表」や「総務」と呼ばれる「文化全体を担う役員」にしか配られない「文化会会報」と呼ばれる「秘密の文書」がある。

私は、個人的には「秘密主義」は苦手だ。ボランティアを本格的に始めてから更に苦手になった。
家族も「秘密主義」が苦手だ。このような家庭環境で育ってきたからこそ、私も苦手になったのだろう。

「文化会会報」には、普段、「代表」が見せない「本音」が書かれてある。もちろん「悪口」もだ。

私は、この「文化会会報」という制度が気に食わない。理由としては、あなたたちだけが頑張って部活を育ててきたわけではないからだ。「執行」にも渡すべきだと思う。

私は「大学の文化祭実行委員」をしているので、実行委員の部屋にたまたまあった「文化会会報」を見かけた。私は「写真部」に所属していた。開くか迷ったが、「代表」の本音を知りたくなった私は、開いてしまった。すると、どうだろう。「代表」も私と同じように、「先輩達」から「引き継ぎ」をされてない衝撃の事実が書かれていたのだ。
そこで、私は「彼」も仲間だったんだ。と痛感した。私自身も引き継ぎをほとんどされてもらえず、挙げ句の果てには、放置されたのだ。どのように今の状態に戻したかは「過去のトラウマ」を参照していただきたい。

そこで私は、「私への感謝」の言葉が記されていたのを見つけて、泣きそうになった。
なぜならば、「私は、部活に味方はいない」と捉えていたからである。確かに、役員交代で詰められた時も「彼」だけが庇ってくれた。集合写真も横にいてくれた。詰められて精神的にボロボロになり部活を辞めようと考えていたけれど、「1人でも庇ってくれる人がいるなら」の精神で続けた。辞めないで良かったと、この時初めて思えた。


とある人は「文化会会報」は面白いよ。という。
だが、私は「なぜ面白いの?」と感じてしまう。
同期がいるじゃん。
弱音を吐きたいなら、もう少し頼ってほしかった。「僕ら仲間でしょ?」と、私は感じた。

人間は「言葉」で言わないと伝わらない。
このようにたかが紙切れに感謝の気持ちを述べたところで、相手が見ないと意味ないのだ。
その人の満足で終わってはいけないと私は思う。

伝えたい相手がいるならば、伝えないと!

今まで私は、部活では我慢をしていた。しかし、ボランティアで幅広い世代と交流していくうちに「言わなければ伝わらないこともある」ということを学んだ。
だから、私は、誰かが嫉妬しても、裏で悪口を言われても、これからは「言葉」で相手に伝えるつもりだ。


それが私なのだから。 


追伸
先輩、代表から「お父さん」と呼ばれてましたよ。

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