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小学32年生のテレビ批評~本当にテレビは面白くなくなったのか?


はじめに

私は1986年生まれのテレビっ子です。

テレビと共に歩んできた人生でした。
少し歳の離れた兄姉の影響もあり、物心ついた時からテレビを夢中で見ていました。

幼稚園の頃からバラエティもドラマもたくさん見てきました。
『東京ラブストーリー』や『愛という名のもとに』『素顔のままで』などなど年齢の割に夜更かししてリアルタイムで見ていた記憶があります。
バラエティだと『ウッチャンナンチャンのやるならやれねば』『とんねるずのみなさんのおかげです』あたりでしょうか。
そんな感じでませた幼少期を過ごします。

この影響もあってか、小学生になると同級生たちが熱狂するものにどんどんハマれなくなっていきます。当時流行ったものでいうとバトル鉛筆、ビーダマン、そしてポケットモンスター。また、兄姉の醜い争いの発端になっていたこともありゲームも一切やりませんでした。そして肥満児で運動ができないので放課後のサッカーなんて全く気乗りしません。

そんな私は家に帰るなり、午後のワイドショーやドラマの再放送を見て晩御飯まで過ごす日々を送ります。
友達がいなかったわけではないですが、どんどんひねくれたテレビっ子として成長していくのです。

小学6年生になった1998年、私が一番テレビを見ていた時代だと思います。
見たい番組の時間が重なることは当たり前ですし、さすがに平日23時過ぎまでの夜更かしは親も許してくれないので、月曜日~日曜日まで各1本ずつ繰り返し録画用のビデオテープを用意して毎日リアルタイムでテレビ視聴をしつつ、録画した番組も視聴していました。
とにかく寸暇を惜しんでテレビ視聴をする、ストイックな生活です。土曜~日曜にかけては徹夜してテレビを見てました。そこまで興味がないプロレスや通販番組まで見て朝まで過ごす、とにかくテレビを見たくてしょうがなかったのです。

この1998年、小学6年生の時に、今後成人して以降も続く、趣味嗜好が決定づけられた気がしています。アラフォーなのにずっと感性は(ませた)小学生のまま。そんな時が止まった私が、テレビについて思うことをつづります。

別に鋭い考察、分析、提言をするつもりはありません。ただのテレビっ子が令和のテレビに感じる喜び、悲しみ、もやもやを少し吐き出すだけです。
時には聞いたことあるようなこと言っているなということもあるでしょう。お世話になったテレビへの一方的なファンレターといったところでしょうか。ませた小学生がテレビ批評してるわ、そんな感じでお付き合いください。

「テレビはオワコン」と言われて久しいですが…

2007年の時点で「斜陽産業」ではあった

テレビっ子の私は、紆余曲折ありながら、大学在学中の就職活動でテレビ局入社を目指します。(就職留年の末、番組制作会社に入社。現在は業界を離れています)

就職活動を始めた2007年、その時に提出するエントリーシートには「テレビを再び茶の間の主役に!」「もしテレビが終わるなら停波の瞬間に立ち会いたい!」というようなことを書いていました。ネット文化の台頭で「テレビは落ち目」ということが前提にあり、「こんな自分ならテレビをこういうふうに変える」的なアピールをしていました。

「テレビの時代はもう終わった」これは業界だけでなく、世の中的にもそんな雰囲気でした。もちろん今はその頃からさらに視聴率は下がり、テレビ局の収益も落ち込んでるでしょうから、状況は悪くなっているとは思います。でも思ったより粘ってるな、とそんな印象です。いろいろ言われるけど健闘してるじゃんかと。

動画コンテンツへの需要は増えている

テレビへの風当りが強い昨今ですが、今のところ放送局の統合の動きなどもなくやってこれているのは、「動画コンテンツを視聴する」という需要が減るどころか高まり続けていることも理由としてあるでしょう。
ありとあらゆるヒットコンテンツもたどればテレビが元だったり、公式にも非公式にもそもそもテレビのコンテンツそのものが視聴されているケースもあります。
昭和・平成のテレビ視聴のスタイルではなくても、「結局みんなテレビ見てるじゃん」、そんな時代ですね。

コンテンツを生み出す人、コンテンツの中で輝く人、動画コンテンツにまつわるネタと人に関しては、伝統と歴史があるテレビ業界がまだなんとか役割を果たしている感じでしょうか。
でも、この構図も永遠ではないでしょう。「テレビを楽しんでいる」という感覚の人は明らかに減っているはずですから。

テレビの”面白さ”とは何か

少年時代の自分がテレビに熱狂した理由

兄姉の影響で気づけばテレビに夢中だった私。でもなぜあんなに熱狂できたのでしょうか。

ビーダマン、ポケモン、サッカー…当時の小学生が熱狂するものはたくさんありました。でも私はそれらのどれよりも、面白いと感じ、ほかのものでは味わえない喜びがテレビにはあるから熱狂していたのでしょう。

「こんなの初めて!」がテレビにはあったのです。

そして10年そこそこの人生経験ですから、その興奮のハードルはとても低いです。テレビの面白さに気づいたらそりゃやめられなくなります。

ネットもそんな台頭していない時代に、「こんなの初めて!」を動画というとても効果的な手法で量産し人々を魅了していたのがテレビなのでしょう。

上がり続ける「こんなの初めて!」のハードル

ネットの台頭(いろんな要因があるでしょうが、ざっくりこう言ってます)で人々の「こんなの初めて!」の1日あたりの取得数は増え、取得までのリードタイムも短くなってきます。

「こんなの初めて!」慣れした茶の間を満足させるのは至難の業です。生放送は別として、基本テレビで放送されるまでにはそれなりの時間がかかります。「それ知ってるわ」率が高くなります。

取得数増加で、自分の中のベスト「こんなの初めて!」の遭遇率も高くなっています。そこに限られた放送時間・枠のテレビが上位にランクインするのは並み大抵のことではありません。ゼロからイチを生み出す知恵がより一層求められていきます。

「こんなの初めて!」をどれだけ提供できるか、これが”面白さ”の肝だと思うのです。

「面白くなくなった」は当たり前の感覚

人は成長し、変化していく。ではテレビは?

大好きな番組の終了は悲しいものです。でも面白さの絶頂で終わるケースはレアでしょう。だいたいネタ切れやマンネリ化で視聴率が低下し終わる、そんな感じではないでしょうか。
結局これも「こんなの初めて!」が提供できなくなったことではあります。
でも、それは言い換えれば番組を見てた人の短い期間での成長や変化でもあると思います。目が肥えたり、その分野の知識が豊富になったりそういうことです。
だから「面白くなくなった」のではなく「面白く感じなくなった」というのが一番正しい表現な気がします。
(たまにリニューアル等で本当に面白くなくなることはありますが)この見る人の成長や変化にあわせてテレビも成長し変化していくことが長寿番組の秘訣なのでしょう。

「面白くなくなった」はいつの頃と比べて?

番組の作り方は、テレビの在り方につながるでしょう。ここの努力を怠ったからテレビは面白くなくなった、もしかしたら一部そういうところはあるかもしれませんが、「面白くなくなった」っていつの頃と比べてなのでしょうか?

40歳の人が25年前くらいの思春期当時と比べてるとしたら、それは当たり前なんです。「こんなの初めて!」のハードルがまだまだ低い年頃だし、時代です。社会に出て大多数の人と同じように人生を歩んできたのなら当然の感覚です。

思いがけず昔のテレビ番組のアップロード動画を目にしたり、往年の企画が復活!みたいな感じで公式な場面でも昔夢中になったテレビを楽しむ機会があります。

そうすると「あれ、昔もうちょっと面白かった気がしたんだけどな」みたいな感覚になります。復活企画に関しては当時とキャスティングや演出が違っていることが影響しているケースもありますが、そのあたりもクリアしているのにあの時の興奮までは蘇らないのです。これは悲しかったですが、当たり前なんです。成長していないようでやっぱり人は成長し、変化しているんですよね。

SNS普及によりさらなる逆境へ…でも昔からそんな感じだった

この当たり前の感覚は、SNSの普及なども相まって国民総評論家時代になった昨今、「昔のテレビは面白かった」「テレビは面白くなくなった」という形で蔓延することとなります。

でもこれって、古代エジプト人も「最近の若者は」と嘆いていた的な嘘か本当かわからないけどなんとなく繰り返している若者批判や、あの頃は良かった的なものと同じ現象だと思うのです。

少年時代に私はテレビに夢中でしたが、母親がよく「昔はもっと面白い番組が多かったのに」なんて言ってました。兄からも「くだらない、こんなもので笑ってるなんでバカじゃないのか」「どうせやらせだろ」という冷める発言を浴びせられました。25年前の家庭内でもそんな感じです。それがネットワークに乗って見えるようになっただけのことかと。

結論、テレビは変わっていない。でもそこが問題。

結局、みんながそれぞれ思う”あの頃”とテレビはそんなに変わっていません。様々な変化が「テレビは面白くなくなった」と感じさせてるのでしょう。でも「変わってない」としたら問題です。こんなに変化が速く感じる時代で「変わらない」ものが受け入れられるのは難しいです。「こんなの初めて!」を提供しなければならないテレビには常に変化が求められるべきです。

大学時代、他学部の授業を何単位か受講できたのでメディア系の学部の授業を受けたことがあります。
元フジテレビのプロデューサーの方がゲスト講師か何かで教壇に立った講義で、萩本欽一さんと一緒に作り上げた丁寧な笑いの世界を「オレたちひょうきん族」に壊された、と恨み節とも感じる雰囲気でお話されてました。(当時の私の印象ですが)

でも、こんな感じで古いものを壊して新しいものを生み出すことを繰り返してきたのがテレビなのでしょう。

「水曜日のダウンタウン」など若い世代の間でも話題になるテレビ番組はこの破壊と創造がうまくいっているのだと思います。

この破壊と創造数が減って「こんなの初めて!」感が薄れているのがテレビの現状ではないでしょうか。

おわりに

正直、「テレビ面白いのやってないな」と思ってYouTubeやアマプラを見てしまうことは多いです。
でも、思いがけず面白い番組に出会うこともあります。
10年ほど業界にいたこともあるので、いろんな事情も理解していますが、業界内で変えるべきことはたくさんあります。月並みなコメントで恐縮ですが、その改革の結果が「守り」では未来はないでしょう。
”あの頃”のような「こんなの初めて!」なやり方でいつまでも国民を熱狂させるコンテンツ発信の源であってほしいです。
テレビっ子代表としていつまでも応援しています。


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