もののけ姫を観た

今、昔のジブリ作品を映画館で観ることができる。

SNS上でもののけ姫の考察を語る投稿をいくつか目にして、無性に観たくなった。
ド平日の午後14時、遅めのお昼をオフィスで食べながら、スマホで近くの映画館の上映スケジュールを探す。

私はこういう時、すごく運がいい。

観たい!と思ったその日にだいたいちょうどいいスケジュールと出くわす。
(映画館側が私のような顧客をターゲティングしてスケジュールを決めていたとしたら、それはもう天晴れとしか言いようがない)

18:35上映、オフィスの最寄りから映画館までは約30分。

私の体内時計は午前中のカウントアップ思考からカウントダウンへ瞬時に切り替わる。

18時ギリギリ、隣の席の先輩が他部署の人と話し始めた隙を見て小声で「お先に失礼します〜」と言いつつエレベーターへ急ぐ。

私は映画館の雰囲気が好きだ。

せっかく映画館に行けるなら、映画館を映画館たらしめたい。

キャラメルポップコーンとオレンジジュース。
1人だからとか、夜ご飯前だからとかは関係ない。一番映画館を満喫できるスタイルでどっぷり空気に浸りたい。

映画というものは、見た時の年齢によって捉え方が変わるものだと言うが、私は本当にもののけ姫を見たことがあったのかと疑うほどに今日みたもののけ姫は新鮮だった。

「生きろ そなたは美しい」

これは、死を恐れずに一人で敵に立ち向かおうとするサンに対してアシタカが言った言葉だ。

本作はサンとアシタカの生き方に焦点があたりがちだが、作中に登場人物する人物は、名前を与えられない人物までも皆、生きる意味を問われている。

"置かれた場所でいかに生きるか"、"運命を憎まず、自らを信じてどのように行動するか"がとても繊細に、強く、たくましい生き様として描かれている。

現代人は上手くいかないことがあるとすぐに周囲のせいにして、環境が悪い、あの人が悪い、と矢印を外に向けて保身に走る。

サンもアシタカも私たちから見たらあり得ない環境下で苦行としか思えない人生を送っているが、自分のためでなく、村のため、親のために行動を決定することができる。

世のため、人のために何かしたいと心では思っていても、現実では自分を最優先した行動をしたほうが偉いと評価されたり、最終的に得をしたりする人間をたくさん見てきた。

そんな中で自分だけが世のため、人のために生きる意味とは何か。

人間なんて嫌いだ。

でも、私は人と関わり、一緒に何かを成し遂げることがたまらなく好きだし、そこで築き上げた交友関係をすごく大切にしている。

どうにも最近、仕事でやる気スイッチが入らない。それでも明日はやってくる。

遠くを見ると疲れてしまうから、一日をhave toで考えるのではなく、want toで考えるようにする。



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