金カム民のインド映画感想
皆さんこんにちは。ゴールデンカムイ大好きオタクの香木うさぎです。
今回はRRRとK.G.Fという二つのインド映画を観た私の個人的な感想です。なるべくネタバレにならない、かつ作品の魅力が分かるように書きますがどうしても中身について言及しますのでネタバレを回避したい方はお戻りください。
金カム民がなぜRRRを好きになったか
春ごろのタイムラインでRRRが大人気になり、アンコール公演が決まったり、ここが面白いよRRRとファンが宣伝したりしていました。
その中でもRRRが実写版ゴールデンカムイに一番近い映画と言われていたのを覚えている方も多いのではないでしょうか?
実際にどんな映画か見に行った金カムファンもいるのではないでしょうか。(私もその一人です)
あらすじだけ見るとあまりゴールデンカムイ要素は無いように思えますが、筋肉!漢のアツい友情!信念!筋肉!ダンス!血湧き肉踊る戦い!爆発!戦闘!筋肉!!の濃厚ノンストップ3時間映画だったため漢の裸と戦いと友情(絆)がふんだんに描かれたゴールデンカムイとの親和性が高かったのではないかと思います。
実際にゴールデンカムイの実写映画化情報があって1年、公式からはほぼ何も音沙汰がなかったのもあり、3時間で2転3転する構成をやりきって大団円にしたラージャマウリ監督の手腕を見て実写版ゴールデンカムイの構成もこうであって欲しい!と願ったのもあるかと推測しています。
個人の感想としては大変面白く、3時間があっという間でした。近々日本語吹き替え版もやるようで楽しみです。早く円盤が出て欲しい。
父性のRRR、母性のK.G.F
ゴールデンカムイは珍しく母親の影が薄い漫画だと私は思っています。
というのも漫画に限らず大抵の表現作品は母親または母の様な存在が大きく描かれており、その理由として赤子を育てるにはどうしても乳をやる母の存在が必要なこと(乳児用粉ミルクができたのは18世紀とごく最近)、男性の寿命が短く戦争などで不在になってしまう事、出産を経験した母にとって子がかけがのない存在になりやすい事などが考えられ、消費者にとっても身近で最も(良いも悪いも)影響のある人だからと考えられます。
なのに主人公の杉元には父から「自分のために生きてもいい」と言われていますが母の姿さえ見えません。
また、鶴見中尉は部下との関係に父性愛的な要素を用いて接しているような節があり、鯉登少年を拐ったのも『兄さあのような子になれない』『自分が代わりに死ねば良かった』と話す鯉登少年の寂しさを察して狂言誘拐をする事で鯉登平二が艦隊爆破の要求を飲まず子を見捨てると踏み、父の喪失と同時に自分が華々しく助ける事で父になり変わることを目的としていると推測できます。(実際は鯉登平二も一緒に助けに向かう展開となって父親との精神的別離は失敗しましたが)
その他にも実の父を殺させて「よくやった」と褒めた尾形や、父親を殺して死刑囚となった月島に『殺されて当然の父親像』を用意して恩赦を勝ち取らせるなど、鶴見中尉には実の父との関係を断ち切らせ、自分がその座に就くようなことをしています。
RRRでは母の存在よりもラーマにインド独立のために軍事訓練を仕込む父の方が描写が何度も出てきてラーマの心にずっとある表現となっており、それはRRRの舞台設定が英国領インドである以上、独立を志すならば綺麗事では済まされず軍事的なことを教え込むのが父の役割だからでしょう(アシㇼパさんも父からアイヌ独立の象徴としてゲリラとなって闘うことを想定して育てられていますね)
一方K.G.Fというと
何度も母親の言葉を思い出すロッキーは、子持ちの母親にはとても優しく(敵の男には何の容赦もないです)劇中では何の関わりもない母親の事を助けたり、息子を亡くした母親の『せめて最後に一目息子の亡骸と対面したい』という願いをちゃんと叶えるなど、母の影響がとても高い作品でした。
この母が日本人が多く思い描くような『幸せになって欲しい』とか『強い男になって欲しい』ではなく『支配者であれ』とか『富を手にしろ』と望む母なのでロッキーの人格に非常に強く影響しているのが伺えます。
RRRが大義と義勇を掲げる男たちのアツい壮大なバトルムービーだとすらば、K.G.Fはこの世の全てを欲するアウトローでセクシーな一匹狼の壮大プロモーションムービーです。
K.G.Fの方は金塊が直接絡んでいるものの、上記の父性的視点と個人的な欲ではなく金塊を得て何をしたいか、というところが描かれているゴールデンカムイという作品を鑑みるとどちらかといえばRRRの方がゴールデンカムイに近いのではないかと思います。
やっぱゴールデンカムイって映画だよ
野田先生はかつて映画の道へ進もうとされていた様ですが、映画は監督、脚本、役者、音響、照明、配給などなどたくさんの人が関わっているため一人で全部できてすぐ発表できるので漫画家になったそうです。
そのせいか、たくさんのシーンで映画的な手法だなあと感じるエピソードを改めて紹介します。
谷垣源次郎は故郷を捨て、妹を殺した親友であり義兄弟の賢吉を探して軍隊に入り、戦場で負傷した賢吉と再会。殺そうとするも目も耳も聞こえなくなった賢吉は今際の際で『疱瘡にかかった妹(賢吉の嫁であるフミ)を実家に迷惑をかけずに楽にさせてやりたかった。どうか真実を谷垣さんに伝えてほしい』と告白をするのを聞いた谷垣は二人の思い出の味であり谷垣だけがつくるカネモチを賢吉に食べさせ、賢吉は今の話を聞いたのが谷垣だということに気づき安心して逝くのだった
これで一本の映画が撮れそうです。千年に一人のマタギを探さなくてはならないのが一番苦労するとこですが。
原作がない映画は『誰の視点で』『どんな人が出てきて』『綺麗に終わる』ことを前提に、初見の人でも分かるように作られています。
この場合谷垣本人の視点からのお話で、鶴見中尉相手に語っている訳ですから鶴見中尉が観客なのでマタギ文化に馴染みのない人にも分かるように語っています。
しかし、普通に身の上話をするならばカネモチの部分をカットしても良かったわけです。自分が軍隊に入隊したのは妹の仇を取りたかったからであり、日露戦争でそもそも仇ではなかったことがわかり、今更故郷にも帰るわけにもゆかずに自分の生き方を迷っている。
これだけで事足ります。でもわざわざマタギ文化を説明して『自分はオリジナルのカネモチを作っていた』『賢吉はそれを食べて味を知っていた』なんていう伏線を貼って賢吉は『最期に食べたカネモチで話を聞いてくれたのが谷垣だった』ということに気づくという綺麗な伏線回収をしています。
一つのストーリーが映画の様な構成になっており、それが色んなキャラクターで繰り広げられながら、混ざりあって(カネモチは日露戦争でたまたま杉元が谷垣からもらい、その後は樺太で遭難した時に『どっかで食べた味』と読者だけが真実を知っている)一つの大団円を迎えているのを見ると野田先生は漫画で映画を撮っていたのだなぁと思います。
長くなりましたが、とにかくRRRとK.G.Fが面白いので劇場へ行ってみてください!
そして実写映画ゴールデンカムイが映画を愛している野田先生を唸らせ、ファンも納得大喝采を浴びる様なできであることを願っています!