マルセル・プルースト『消え去ったアルベルチーヌ』

現在、刊行中の『失われた時を求めて』(光文社古典新訳文庫)の一巻ではなく、2008年に刊行された高遠弘美氏による本篇のみの一部訳である。/

アルベルチーヌは消え去った。
恋とは七色に光り輝く玉虫のようなものかも知れない。
森の中でまばゆい光を放っていたそれは、虫籠に入れて家に帰ってくると、しだいに生気を失い、やがては死んでしまう。/

本書掲載のグラッセ版の「註」によれば、プルーストは当初、本篇のタイトルを「逃げ去る女」と考えていたという。
前巻のタイトル「囚われの女」とのシンメトリーからそう考えたのだろう。
だが、NRF(新フランス評論。1908年創刊のフランス文芸雑誌。アンドレ・ジッドらが編集長を務めた。ジッドは1912年に『失われた時を求めて』の第1篇『スワン家のほうへ』の原稿が持ち込まれた際に掲載を断り、のちにこの作品の真価を悟り、プルーストに謝罪している。本作品の出版時は、ジャック・リヴィエール、ジャン・ポーランが編集長だった。)がタゴールの訳書を「逃げ去る女」というタイトルで出したため、プルーストはこの題の使用をあきらめたという。
ちなみに、本書並びに生島遼一訳(新潮社版)、吉川一義訳(岩波文庫版)が、
「消え去ったアルベルチーヌ」を採用しており、一方、保苅瑞穂訳(講談社世界文学全集版)、井上究一郎訳(ちくま文庫版)、鈴木道彦訳(集英社文庫版)が「逃げ去る女」を採用している。/

確かに「逃げ去る女」の方がしっくり来る。
「囚われの女」と「逃げ去る女」、美しいシンメトリーだ。
「囚われの女」は、囚われの日々によって次第に生気を失っていく。
「囚われの女」に想いを寄せるのは、「憂い顔の騎士」だけなのかも知れない。
「逃げ去る女」は、その逃走の一歩ごとに輝きを取り戻して行く。
歌劇「カルメン」のハバネラ(「恋は野の鳥」)の鳥のようだ。/

【逃げ去ったアルベルチーヌを、マスネー作曲のオペラ・コミック『マノン』に仮託して語り手は偲ぶ。

ー中略ー

以下、新しい順に四種の訳を並べる。 

ああ、わが身を奴隷と思った小鳥は、 
何度となくそれを逃れようと 
必死の羽ばたきで夜のガラス窓に突きあたる。(鈴木訳) 

ああ、牢獄の思いをのがれようとする鳥は、 
 夜、何度も何度も、 
ガラス窓を打って必死に羽ばたく、(井上訳)

ー中略ー

ちなみに拙訳はこうである。 

あなあはれ、囚はれと思ひし身をば逃れしも 
ぬばたまの夜ともなれば、必死の羽音 
硝子の窓に響かせて、戻らんとする鳥のあるかな】(訳者あとがき)/

高遠訳『失われた時を求めて』の続巻刊行が待たれる。

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