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エッセイを書きたい

高校の時、一番好きな教科は古典だった。……という人のお約束(?)「あさきゆめみし」で源氏物語の世界にハマった。古文の教師に気にいられて、円地文子さんの著書を紹介され「なまみこ物語」「私見源氏物語」などを読んだ。

あれからほぼ40年。いまほど「古典が好きで良かった」「古典を勉強していてよかった。古典を必修にしてくれていた文化省、ありがとう!」と思ったことはない。

5/26放送のNHK大河ドラマ「光る君へ」は巷でも「神回」だともっぱらの評判だ。私もそう思う。まひろと道長の恋が成仏()したことはもちろん、なによりも枕草子誕生のくだりに涙した。

生きる気力を失っていた中宮定子のために、何かできることはないかとまひろ(紫式部)に相談したききょう(清少納言)に、「一条天皇が司馬遷の『史記』を書いたのなら、ききょう様は春夏秋冬の『四季』をお書きになって定子様に読んでいただいたら?」という楽しいシーン。このダジャレのようなやり取りは実際に記録されているらしい。紫式部と清少納言が仲良しだったというのはフィクションだから、ドラマオリジナルで取り入れたエピソードなのだろうけど。

そのあと、清少納言が実際に枕草子を書き始める。初めは定子様の枕元にそっと置いて帰る。「春はあけぼの」で始まった枕草子を徐々に定子様は楽しみにし始める。次に桜の季節から蛍の舞う夏へ。そして季節は紅葉散る秋へ。その頃になると定子様は床に起き上がって、清少納言が書いた枕草子を読んでいる。

定子様がまた生きる気力を取り戻した。その姿を御簾越しに見てそっと涙を零す清少納言の姿にもらい泣きした。

「たった1人の悲しき中宮のために、枕草子は書かれたのである」というナレーションにまた泣いた。

古典で枕草子は必修だ。「春はあけぼの」から始まる文章は、中学生でも諳んじることができるだろう。だけど、このドラマで私は初めて、「春はあけぼの」ではないことに感動した。定子様が読む枕草子はこうだった。

「春は、あけぼの。
やうやう白くなりゆく
やまぎは
少し
あかりて。
紫立ちたる雲の
細く たなびきたる」

 そうか、そうだよね。ただ暗唱句として全部ひとかたまりで読んでいたけど、「春は、あけぼの」なんだ。「夏は夜」じゃなくて「夏は、夜」。「秋は夕暮れ」じゃなく、「秋は、夕暮れ」「冬は、つとめて」。

清少納言は定子様に四季の美しさを、世界の美しさをもう一度見て欲しかった。あなたの生きる世界はこんなにも美しい。もう一度、見てください。生きてください、と。

枕草子を読んで、定子様がその願い通り、また四季の美しさを、世界の美しさを思い出してくれた。

清少納言にとって、文章を書く者にとって、こんなに嬉しいことはないだろう。

ライターは文章を書く。当たり前だ。そして文章を書く時、「ペルソナを意識する」はライティングの「基本のキ」だ。たった1人の誰かに向かって書く。そのたった1人の誰かに刺さる文章が書けた時、それは同じ経験をしているその他の人たちにも刺さる文章になる。

枕草子は、平安時代に書かれた日本最初のエッセイだと言われる。1000年以上も前に書かれたエッセイが、今もまだ多くの人に読み継がれ、愛されているのは、これが「たった1人の人」に向けて書かれたものだから。

エッセイを書きたい。枕草子のように、誰かが読んで、世界の美しさを思い出し、生きる気力を失っていた人がもう少し生きてみようか、と思うような、なんて壮大なことは言わない。ただ、読んでくれた人の考え方やものの見方をほんのちょっと、変えられるような、そんな文章が書けたらいいなと思う。

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