リーダーの仮面を被る
サークルで部長とライブのプロデューサーというトップの立場に、この約1年半立っていた。
結論から言うといい経験にはなったが、それよりもしんどかった。
自分自身今まで積極的にリーダーになってきたタイプかと言われると、そうでもない。
グイグイ引っ張っていく人ではないし、そもそも、何か主体的に頑張ろうとしたことがあまりない。周りに流されながら生きてきた。
リーダーが向いてるか向いてないかはわからないが、人よりもがんばろうというバイタリティは確実に無い。
ではなぜリーダーになったのか。
一言でいうと、やってみたかったからだ。
自分に対して新たな挑戦をしてみたかった。
きっかけは浪人したときだ。
それまでは周りと合わせながら生きてきたが、その周りが大学へ進んでいく中、自分には行き場がなかった。
このままダラダラ過ごしてたら将来大変なことになるだろうなと思い、1年間限界まで頑張ってみようと決めた。
この浪人のときが、初めて主体的に頑張った経験になる。あ、小3くらいまではおれも主体的にがんばってたかな?まあそれ以来なのは間違いない。
一日中詰め込みの勉強をずっと継続できてた訳ではないが、所々休みながらも全力を尽してみた。
そしたら意外に頑張った結果が合格という形になった。家から通える国公立という、親から課せられた条件もクリアした。
受験に合格して国公立に入れば人生安泰。そんな考えだったこともあるのか、合格したときは喜びよりホッとした気持ちが強かった。これで勝ち組の人生が送れるなんて思ってた。
「この勢いで大学生活もいろんなことにチャレンジしてみよ!」
これが1年半リーダーをしてみようと思った理由だ。
だが、リーダーをしてみて思った。
「これは楽しいのか?今自分は幸せなのか?」
もちろんリーダーが動かないと何も始まらない。いろんなことに気を配り、先を見据えて次何しなければいけないのかを常に考える。人より頑張る必要があるのだ。
人より頑張って得られたものは経験と賞賛。失ったのはサークルを楽しむ時間。不器用な自分は、リーダーをしながらプレイヤーとしてサークルを楽しむことはできなかった。
気負うべきではなかったかとも思うが、気負わなければできないこともある。
1年半の我慢と比べて賞賛は一瞬だ。それまでの苦労が全て報われた、なんて都合良く解釈できるほど、ぼくは人ができていない。
残ったのは経験と信頼か?いや、信頼ができたかなんてわからない。何を持って信頼なのかもわからないし。
となれば残ったのは経験か。これだけは一生残るだろうか。
じゃあ何のためにおれはがんばってきたのか。浪人からずっと何のために、ここまでやってきたのか。
頑張って大企業に入ることが幸せのゴールではないと知ったぼくはそう思った。
人生頑張ろうと決めたきっかけに戻ってみるとする。
「気楽に生きたい」
これが自分の出発点だ。気楽に生きるためには、力が必要だ。そう考えた。
今こそ気楽に生きる道を選ぶべきか、もう少し頑張ってみてから気楽な道に切り替えるか。
しかし、もう少し頑張って力をつけてから人生イージーモードに入ろうと思っていたら、一生入れない気もする。
気づいたときが行動しどき。
自分の中でこれなら頑張れると思うことをやり、金を稼ぎ、オフをしっかり持って、気楽に生きる。
これを実現させるために、頭を使って足を動かすとするか。
あーあ、何も考えずに気楽に生きたい。早く楽になりたい。
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