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地元・小田原にUターンしました

先週、生まれてから20年住んでいた神奈川県小田原市に戻りました。
6年ぶりに小田原に住みます。

変わったところもあれば、何も変わらない懐かしい空気もあって。
周りを見渡せば海と山に囲まれているこの街が落ち着きます。

Uターンを決めたワケー小田原を離れた理由

実は物心ついた頃から「私は小田原で生まれたし、小田原で最期を迎えたいな」と思っていて、周りにもそう言っていました(自分で言うのもアレですが、なんという未就学児なんだ、、、)

同時に「社会人になったら必ずひとり暮らしをして自立するぞ」と決めていても、「実家を出て、小田原で一人暮らしをするぞ」と思っていたくらいには小田原に住むことにこだわっていました。
※結果として、2時間通学に耐えかねて20歳から東京で一人暮らしを始めましたが

ただ、「神奈川」であっても「小田原」です。
端的に、そして言葉を選ばずに言うと、求人においては都心と同じではありません。その他地域のいわゆる「地方」と全く同じ状況です。
人口減少も進み、地元にあった大手企業の製造拠点は軒並み撤退しました。
仕事が少ないんです。

私の希望する業界や職種での就職が難しいことがわかり、「どうせ小田原に住めないのであれば、どこに住んでいても同じだ」という考えから、総合職での就職に踏み切りました。(だからこそニトリに出会い、入社できました)
ニトリであれば、全国400以上ある店舗の中での配属可能性は知れていると言っても、1%でも小田原店もしくは小田原近隣店への配属の可能性があります。
初期配属は実家から通えない範囲への配属になるので小田原に住めなくても、その後帰ってこれるかもしれない。そんな願いも込めてニトリに就職しています。

Uターンを決めた原体験

リクルートキャリアへの転職後仙台に配属され、そこで初めて首都圏を離れたのですが、その時気づきました。

「小田原にいなくても、小田原にいつでも戻れる範囲に住んでいるのが心の安定につながっていたんだ」

首都圏を離れたストレスもあって体調を悪化させたこともあり、一人暮らしで神奈川へ帰ることを決めました。
回復後たまたま実家に寄る機会があり、気づいたことが。

「ああ、私には帰る場所があったんだ」

親戚は物理的に遠くに住んでおり、父は週6で仕事、兄や姉とは干支一周離れていることもあって、おそらく他の方よりも家族との関わりは薄い方だと思います。5人揃って家族旅行に行った記憶はありません。
余談ですが、兄は私が小学校に上がったタイミングで一人暮らしをしているので一緒に住んでいた記憶がほとんどなく、独身時代帰省してくると「誰だろこのおじさん・・・・あ、兄か」という感覚でした(本当に)

それまでは、姪や甥との関わり方もわからないくらいには「家族」というものがわからなくて、私自身子供を望んでいないこともあって「家族」に興味もなく、無関心な存在でした。だからこそ友達に支えられてここまで生きてきています。

その感覚が崩れた瞬間が、仙台から戻ってきたタイミングでした。
物理的にも、精神的にも。

Uターンまでの道のり

その後フリーランスとなり、コードキャンプの仕事をメインにしていたのでほぼフルリモートで働き始めます。
ここで母親、「なんでリモートなのに一人暮らししてんの?無駄じゃない?帰ってくれば?」

ごもっともすぎたんですが、その時はまだ「出社の可能性があるかも」と思い、戻ることは決意できませんでした。
ただ、コロナの後押しもあってリモートワークが珍しいものではなくなったこと、twitterで新潟にUターンした渋谷さんを見かけて、本格的にUターンを考え出します。

そして昨年9月から正社員となり、
・原則フルリモートであること(実はCEOにも今後の方針をしれっと確認した)
・オフィス移転が決まり、最寄駅が大崎になったため最短1時間半で通えるようになったこと
・ゆえに週1〜2くらいならオフィスにも通える距離感
・健康診断でひっかかりまくり、母親からの「食事療法するからさっさと帰ってきな」という圧力(爆笑)
が後押しとなってUターンを決めました。

そして何よりも、これは仙台から戻ってきた際に思ったんですが、
両親が最期を迎える瞬間は、兄妹平等に迎えるんですよね。
となると、兄は13年、姉は11年、両親との時間を長く過ごすことができるんですよね。

これって私、純粋に損じゃないですか?笑

一人暮らしは両親の死後でもできるけど、一緒に住むことは今しかできない。
だったら優先すべきは「一緒に住むこと」だなと思いました。

だからと言って私はひたすら居間のこたつで仕事をしているだけなのですが、空き時間で母親と雑談したり、父親のウォーキングに付き添って一緒に運動したり、ただそれだけで良いので今できることを優先して過ごしたいなと思っています。

「今できること」を大切にする

未来ばかり見ていた私が、今この一瞬を大切にするようになったという意味合いでは、人生の夏休みで気づいたことや得たこともたくさんあったなと思います。
その1つが今回のUターンです。幼い頃からの夢、ついに実現しました。

小田原で、小田原の仕事はできていないかもしれないけど、
小田原で、小田原に住みながら社会と繋がって仕事はできている。
しかも、いつ死んでも小田原にいることが確約された。
最期の瞬間の理想も叶えられる。

ただいま、私を育てた街、小田原。


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