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発症までの経緯 | うつ病と甲状腺機能低下症を併発した話 #2

こんにちは。前回の記事、思ったよりもたくさんの方に読んでいただけて嬉しかったです。ありがとうございます。

今回はうつ病・甲状腺機能低下症だと診断されるまでの経緯を、時系列順に整理してみました(実質的にはうつ病になるまでのお話です)。記憶だけでは曖昧だったので、Xの体調管理用鍵アカウントの投稿内容も参照し、差し支えない範囲でスクショを掲載しています。

※希死念慮や自死に関する内容が含まれます。具体性はありませんが、フラッシュバック等のおそれがある方はご注意ください。

▼前回までの記事をまとめたマガジン


2024年1月〜2月

1月は、趣味でやっているポッドキャスト番組「ぜったい大丈夫だよラジオ」の3周年記念イベントを開催しました!大切な仲間やリスナーのみなさんと素敵な時間を過ごすことができて本当に嬉しかったのですが、仕事と並行しての準備作業が負担になっていたのも事実で、イベント終了後の1月中旬には疲労感がどっと押し寄せ、メンタルの調子も急降下したのを感じました。

私はもともと冬になると精神的に落ちやすいタイプで、毎年1〜3月は元気がありません。なので、多少精神的にブレても「今年も冬が来たな〜」と軽く捉えがちで、このときも「睡眠・食事に気をつけて冬を乗り越えよう」と、嵐が過ぎ去るのを待つスタンスでした。2月から仕事の繁忙期が始まったので、ここで倒れてはいけないという気持ちもあったと思います。

2024年3月〜4月

3月末までは仕事に追われ、平日はもちろん、土日も取材があったりなかったりと忙しい日々が続きました。まずかったのは、プライベートの予定までギチギチに詰め込んでしまったこと。展示に行ったり鳥取旅行したりと、それはそれで楽しかったのですが、家でゆっくりする日をもっと増やすべきでした。

3月上旬に訪れた鳥取県米子市の海

3月下旬の納品ラッシュ後は体調不良に襲われ、繁忙期からの開放感を味わうことなく4月に突入。#1で書いた通り「潜在性甲状腺機能低下症の疑い有り」と診断されましたが、すぐに症状が改善されたため「仕事の疲れだな」と結論づけて、処方された漢方薬を粛々と飲んでいました。

春が来たのにいまだ浮上しないメンタルについては、少し気になっていました。しかし、仕事疲れや悪天候、GW目前のやる気のなさ等、さまざまな理由が思い浮かんだのでメンタルクリニックには行かず。

また、振り返ってみて気づいたのですが、好きなアニメや漫画作品に興味を失いはじめたのも4月頃のことでした。楽しみにしていた『響け!ユーフォニアム』3期は1話でストップ、去年までのめり込んでいた『アイドリッシュセブン』の情報も追わなくなり、音楽やポッドキャストもほとんど聴いていなかった(聴けなかった)と思います。

ゲーム実況動画は変わらず見ていたり、大喜利にハマったりと、まったくの無趣味というわけではありませんでしたが、これもうつ病の初期症状(意欲の低下、興味関心の喪失)だったんでしょうね……。

2024年5月

メンタルの調子の悪さが一気に加速し、うつ病へまっしぐらだったのが5月です。

この月は仕事について思い悩んでいました。いつもより仕事量が少なく予定のない日が多かったのですが、それをラッキーだとは思えず、お金に対する焦りとプレッシャー、生産性のない自分(と考えてしまっていました!ひえ〜)を責める気持ちを日々募らせていました。そして、だんだんと生きていくこと自体、苦痛に感じるようになっていったのです。

調子が悪いことはわかっていたのに

5月中旬頃にはすでに、不眠(複数回の中途覚醒と早朝覚醒)、動悸、気分の落ち込み、不安感などの自覚症状がありました。私はメンタルの落ち込み度合いと比例して不眠になる傾向にあり、今回はそれが比較的強めだったので、会社の共同代表にも「近々メンタルクリニックに行くかもしれない」と伝えていました。

診断1ヶ月前時点でうつ病を疑っていたんですよね
病院に行ってくれ〜

しかし、身体的な体調不良や急遽決定した家族旅行などいろんなことが重なって、自身のメンタルケアの優先度はどんどん低くなり、もうしばらく様子見しようと判断してしまいます。判断ミスにも程があります。

2024年6月前半

6月に入ると、今度は耳がおかしくなりました。飛行機の離陸時に耳抜きしたときやあくびをしたとき、自分の呼吸音や声が頭の中に響くことがあると思うのですが、日常生活のごく普通の状態でもそれが続くようになったのです。調べると「耳管開放症」という病気のようで、急激な体重減少やストレスが原因になるのだそう。私の場合は、おそらくストレス由来です。

心身の持続的な疲労感に気付いたのも6月頭頃のことです。身体のだるさはもちろん、精神的にも参っていて「仕事にも人生にも疲れた、生きるのがしんどい」と、毎朝毎晩スマホで自死の方法を検索するようになりました。

私は昔から希死念慮を持っているので、検索行為自体は(あくまで私の中では)特別なことではなかったのですが、今回はかなり具体的な方法を毎日調べてしまうなど頻度・深度が高く、「まずいな」と思いながらもやめられない日々が続きました。そして、ついにメンタルクリニックに行くことを決意するのです。

予約したのは昔一度だけ睡眠薬をもらいに行ったことのあるクリニック。さっぱりした性格の先生だった記憶があったので「睡眠薬飲んでゆっくり休息取ってね!」みたいに言われるんじゃないかと予想していたのですが、時すでに遅し。「CES-D(うつ病自己評価尺度)」というスクリーニングテストの結果も踏まえ、うつ病だと診断されました。

告げられた瞬間は「やっぱり」と思いつつも、どこか信じられない気持ちがありました。受診前日まで仕事もできていたし、なんなら人と食事に行ったり、友達のバンドが出演するイベントに遊びに行ったりしていたので、「まだ大丈夫、少し休めばすぐ回復するだろう」と根拠のない自信を持っていたのです。でも、先生と話している間ずっと涙が止まらなかったので、自分が思っていた以上に溜め込んでいたのだと思います。

眠れないまま朝を迎えたときの投稿

共同代表には診察後すぐに会い、状況共有とともに今後のことを相談。結果、なるべくはやく仕事を引き継いで、休職して療養に専念することとなりました。

2024年6月後半

うつ病だとわかってから、一気に体調が悪化しました。朝はなかなか起き上がれず、PCの前に座るのもやっとのこと。希死念慮が頭の中をぐるぐるして、食が細くなり一気に5kg減。処方された睡眠薬はまったく効かず、夜は1〜2時間ごとに中途覚醒していました。

なぜ診断を受けただけでここまで悪化するの?とメンタルクリニックの主治医B氏に聞くと「もともとボロボロの状態で折れそうだったのが、ついにぽきっと折れただけ」とのこと。100kmウォークのゴールした瞬間みたいなものか、と謎に納得しました(渾身のレポも気が向いたら読んでみてください!)。

仕事の引き継ぎもそう簡単には終わらず。というのも、診断直前まで営業活動していたので、新しく知り合った企業や普段お世話になっているクライアントとの打ち合わせが複数予定されていたのです。加えて、ライターとしての取材稼働もあり、診断日から1週間程度はなるべく普段通りに仕事に取り組もうと頑張っていました。

不思議なことに、最初はつらくても仕事をしているうちに「いつも通り」にできるようになるんですよね。たとえば、取材先への移動中は心身ともにつらいのに、いざ取材となると頭が冴えてくる。日中は動けないのに、夕方になると急に元気になる。そのため「私はまだ仕事できる!」という盛大な勘違いをなかなか捨てることができませんでした。

「うつ病だ〜」と思う、冷静な自分もいたっぽい

これは仕事に対する底力やプライドのようにも見えますが、実際は「仕事を休んだら無価値な人間になってしまう」という恐怖が、自分の中に深く根を張っていたのだと思います。この話は元気があれば、別の記事で書きたいと考えています。元気があれば……。

そんな中、どうしても引き継ぐことのできない、私自身が担当するしかないお仕事があることに気づきます。前述の通り「できる!」と思っていたので途中まではやり切ろうと考えていたのですが、2回目の診察でもボロボロになるまで号泣したことで「こんな状態ではまともに仕事できないし、依頼してくれた相手にも迷惑をかけてしまう」と痛感し、キャンセルさせてもらうことを決意。中には私から提案した企画もあったので、本当に心苦しかったです。

また、キャンセルメールを送る際に「うつ病になりました」と言えなくて(一度うつ病だと言ってしまえば、もう二度と仕事をもらえないのではないかという恐怖がありました)、急な体調不良だと嘘をついてしまったのも、申し訳なかったと思います。

6月末、メンタルクリニック3回目の診察で以下の内容を主治医B氏と約束します。

・6月中に仕事の引き継ぎを全部終わらせること
・どうしても自分でやらないといけない仕事は、6月末までに完了(納品)させること

不眠がひどかったので睡眠薬の種類をただちに変えたかったのですが、飲みはじめてから数日間は効き目が強く出る可能性があるとのことで、まずは仕事から離れられる状況をつくり、7月以降調整することに。治療薬の変遷についてもいずれ触れたいです。

余談ですが6月は誕生月で、今までで一番めでたくない、最悪な状態で32歳を迎えました🎂

2024年7月

予定通り6月中にほとんどの仕事を引き継ぎ、全タスクを終わらせることができたので、抗うつ薬や睡眠薬の変更・増量が行われていきました。

7月上旬は症状と激痩せによりへろへろで、通院以外は家で寝転がっていることが多かったです。YouTubeで「うつ病には朝散歩がいい」という旨の動画を見ていたので、調子のいい日は早朝散歩をしていました(今思えば「はやく治さなきゃ」という焦燥感から無理して歩いていた気もします)。

5時〜6時台に近所を散歩していました
生きている証がほしくて、撮った写真です

この頃は、気分の落ち込み、不安感、希死念慮、考えがまとまらずうまく話せない、文章を読めない、物忘れ、判断力の低下、眠気、強い倦怠感、寒がりなどの症状がありました。

一部はうつ病のほか、甲状腺機能低下症でも見られる症状ですが、7月上旬時点ではその疑いは持っていませんでした。甲状腺機能低下症によくある寒がりも「年齢を重ねて冷房が苦手になったのと、低体重だから寒く感じるんだ」と考えていました。

新しい睡眠薬のおかげで5〜6時間ほど連続して眠れるようになったからか、7月中旬頃には徐々に食欲が戻りはじめました。気分の落ち込みや思考力の低下は引き続きあったものの、休養生活に少しずつ慣れてきたこと、食べられるようになったことで、ギリギリだった心身に若干の余裕が生まれます。そこで、先延ばしにしていた甲状腺の再検査をエイヤと受け、約1週間後の7月下旬、橋本病を起因とする甲状腺機能低下症(=うつ病と併発状態)であることが発覚しました。

内科の主治医A氏からは「不足している甲状腺ホルモンを補えば、抑うつ症状も改善されて抗うつ薬も減るんじゃないかな」と励まされましたが、私は「うつ病に加えて違う病気まで……」という絶望感でいっぱいで、帰り道に思わず泣いてしまうほどでした。

ただ、翌日には一転し「甲状腺の病気だってわかってよかった!」とポジティブマインドに。ちょうど甲状腺機能低下症の診断翌日がメンタルクリニックの診察日で、毎晩飲んでいた抗不安薬が減薬されて「新しい病気が見つかったとはいえ、ちゃんと前に進んでいる」感を得られたから、というのもありますが、現実に起きてしまったことは仕方ない、前を向かなきゃ……そんなふうに思わないとやってられなかったのかもしれません。

甲状腺機能低下症の診断日当日から、うつ病の薬物治療に加えてホルモン剤による治療も始まりました。しかし、これがいろいろと大変で、紆余曲折あって現在はホルモン剤の服用を中止しています。このあたりは、別途治療についての話でまとめさせてください。

振り返ってみて

あらためて振り返ってみると、4月から暗雲立ち込めまくりですね。このときすぐに病院に行けていたら、また違った未来があったのかもしれないと後悔しています。また、私は比較的メタ認知が得意だと自認していたのですが、本当に得意ならすぐに病院に行くという合理的判断ができていたはずなので、自己認識の歪みにも気づくことができました。どの程度歪んでるかはわからないけど。

普段からメンタルの調子に波があるぶん、心の不調に対する優先度を下げてしまっていたことも反省点のひとつです。「これくらいの不調はよくある」「自分で対処できるし、今までもそうしてきた」と自己判断せずに、専門家を頼るべきでした。メンタルが弱いなら、その弱さを認めてもっと私自身に寄り添ってあげればよかった。「自律」という名の厳しさを自分自身に向けつづけてしまったな、と思います。

自分の不調に最初に気づくことができるのはいつだって自分自身だと思うので、「おかしいな」と感じることがあれば、どうかすぐに病院に行ってほしいです。そう、切に願います。


今回も長々としてしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました!

▼#3はこちら


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