見出し画像

七夕の残像

 昨日まで降り続いた長雨が嘘だったかのような快晴に街は燦然と輝いていた。焦げそうなくらいに熱せられたアスファルトに点々と出来た鏡が現実を真逆に映す。時々何かに踏まれて割れると、元の水に戻ることを思い出したかのように熱い飛沫になって跳ねる。
 七夕の直後の週末。普段は静まり返ったシャッターだらけの旧街道に決まりきったラインナップの出店が並ぶ。
 排気と熱気はこの環境を条件に交じり合って特有の空気を作り出す。雑踏と喧騒が和太鼓の演奏隊に掻き消されて音は不思議と様になる。この日ばかりは喧しい蝉の命の叫びに勝てる。ここの人間の元気は普段どこに仕舞ってあるのだろう。
 限定的な歩行者天国を闊歩する浴衣と短パンが雰囲気と呼ばれる形のないものに当てられて燥いでいる。昔の自分の残像を赤の他人である子供に見出だして、足元の影がにわかに乖離していく錯覚に駆られる。

 今は喜んだり悲しんだりできない。数百円やそれと交換されるさらに安っぽい出店の飯では。それが必然の帰結であって、稚気を酷く見下すような気持が芽生えたりしながら、そんな現在が無性に悲しくなって、浅ましい虚しさに苛まれる。
 幼いままが良かったと思える歳もいつの間にか通り越していたことに気付くのはいつもこういった瞬間だ。何かに喜べなくなるような心の穴に大人になるという名前がついている気がする。こうなることをいつ望んだのだろう。
 七夕伝説やこの地域の伝統でさえもそうだ。熱が冷めるということは分子の動きが遅くなって、固まっていくということだ。本物の状態変化と同じで、人間のそれも一種の摂理と言っていい。

 前よりもっと寂れた駅前には張りぼてが丸見えのステージが設営されていて、地域のスポーツクラブが発表会をしている。必死にカメラを構えた親が踏みつけているのはあの子供達が植えた育ちかけの向日葵だ。来年からはカタバミを植えると良いだろう。

 柄の悪い男達が客引きをやっている。小学生相手に当たらない籤を設けている。以前は吐き気を催すほど嫌いだったあの連中も、最近は一概に憎めなくなった。
 無論、好きになれたわけではないけれど、ああいう連中にもせこいことをするなりの生きにくさや世知辛さがあって、これまで拭いきれなかった幾多の錆が脳や体ににこびり付いているのだろう。
 実際に内情を知っているわけではないし、やはり今でも近付きたくも関わりたくもないけれど、どこか道を外れないと出来ないことをしている人を見る度にそう思うようになった。
 こうやって宿していくのは優しさではなくて憐憫と蔑みだ。それを間違えなくて良かった。さもなければ時々口に出してしまいそうになるから。
 最近、祭りの補助の短期バイトを始めた知り合いがいて、たまにそういう裏事情を教えてくれたりする。別に知りたくもないことが次々溜まっていくけれど、露ほども知らなければ、知りたくなかったなどという後悔すら生まれないのか、という必然に気付く。

 上の空のまま屋台の裏側の商店と電柱の隙間を歩いていると、忙しなく働く覚えのある顔と鉢合わせする。
 小学校の頃に所謂いじめっ子のリーダ格だった佐藤だ。別に被害者でも加害者でもなくそこにあったいじめを俯瞰していた当時の自分が思い出されて、名前のない疚しさに自然と目を逸らす。
 彼女もまた、特に何もないから気付かない振りをする。お互いの視線の動きで解っているけど、ここで口を開いても何にもならないことはもっとよく、どこか本能的に解っている。
 結局、その時のいじめはいじめられている側の一人、阿部という女子の自殺未遂で決着がついた。大事にならなかったと大人だけが判断して、厳重注意とやらでけりがついた。
 本当はそんなことで終わらないことは口に出すまでもなく皆が了解していた。消えたのはいじめた側と担任だった。阿部は最後まで保健室に通っていた気がする。確か卒業式の日にだけ両者気まずそうに現れた。奇妙な一礼を交わして、知っている限りでは、本当にそれきりだった。
 阿部や佐藤の席も、音もなく無くなっていた気がするし、それを受け入れることが当然のようになっていて、誰も異議を唱えなかった。下手に口を挟めば傍観者でいられなくなる。
 学年主任が後付けのような叱責のために一時間くらい費やした。授業が潰れて良かったくらいにしか思わなかった気がする。残酷な生き物達だ。
 そういう子供達も、当たり前に大人になる。どこかで同じような感傷に浸っているかもしれない。文章を書いているのは、多分、自分だけ。

 幼稚なままでも残忍さは手に入れられる。共同体内を生き延びるための姑息さも備わっていた。
 そしてその言葉の鋭さは一部始終を眺めていただけの自分にもしっかりと返ってくる。
 もう痛まない傷でも確かにそこにある。感じなくなっているのに、どうしてあると解るかと言えば、治すことは出来ないから。そこに嘘は付けないから。
 歳を取るほど昔の幼さを痛感して呼吸が苦しくなる。でもそれは良いことなのだと言い聞かせるようにしている。
 誰かが言っていた。成長するということは過去を恥ずかしく思うことなのだと。

 昔ここに来た時にはもっと色々買っていた気がする。それが今はコンビニで買ったアイスと自販機の炭酸水で済む胃になった。
 もはや吊り上げられた価格でホットスナックを買う気にはならない。コンビニも本質は同じだと知っていても、一度身についた習慣が抜けなくて寄ってしまう。
 どこかで出店の高さに嫌気がさして愚痴を言った時、吉田は笑って答えた。
「ふっ、あれはね、ここで一緒に食べるっていう思い出を買っているんだよ」
 思い出を売るという文句だけ頭に残った。何年前のことかも、そもそも本当に吉田本人の言葉だったのかも思い出せないけれど、あの日初めて、経済とか付加価値とかそういった言葉が理解できた。自分が何を買っているのか、ようやく分かった気がした。
 結局何も正当化されないけど、正当化されていない物も世界を形成している。色々、それはもう色々気付けるようになったことの始まりがあの場所だったと、ぼんやりと思う。今年も同じ屋台が立っている。

 お化け屋敷や綿飴の大仰な屋台は地域の自治体との出し物で、毎年同じ位置に構えられる。
 毎年役員決めで、次は私の番かも、と溜息を零す母を見て、どうして誰の得にもならない共同体が存続するのだろうかと疑問に思っていた。愚痴の種にしかならない面倒ごとにいそいそ取り組む大人を見て、子供達は集団や共同作業に対する嫌悪をその内に育てていた。
 特に顕著なのは加藤だった。問題は彼の母親で、誰も楽しめない行事とそれに伴う仕事を作り出すのが得意な彼女は、陰口の恰好の標的となっていた。
 当の加藤がそれを一番恥じていて、いつも親と同級生に挟まれながら居心地悪そうにしているから、誰も彼を責められなかった。そうして自治体の虚しい行事に時間と金は浪費されていった。
 祭りの背後にそういった後暗い気配がすると純粋に楽しめなくなって、地域の祭りからは自然と遠のいていった。他の同級生もそうだったのだろう。そうして子供の眼と心は大人の企図しないところで喪失されていく。

 否応なしに込み上げる他者と過去の自分への嫌悪が、今日までこの身体を育ててきたという事実に当てられて、また蹌踉めく。
 蜃気楼の奥に、何も知らずに、しかし、何もかも知ろうとする子供の姿が見える。ずっとそうやって生きていきたいと今更のように思う。
 夏の隙間に育とうとする焦りと、戻ろうとする悲しさが反復するように蘇って、そのどちらもこの手では制御できない摂理だと思い知る。

 風鈴の音が聞こえてから、少し涼しい風が吹いたことを知る。昔何かがあったはずの空き地に座り込んで、炭酸水を流し込んだ。
 どこか遠くに向かう雲を眺めながら、徒に今日は過ぎ去っていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?