見出し画像

丁寧に暮らす

ここ数日、noteを書きたいと思いながらも、うまく言葉が出なかったりまとまらなかったりして、書いては消してって繰り返していた。こういうの、時々あるの。書かなきゃって思っているわけでもないんだけど、書きたいんだよね。頻度は多くないものの、noteにこうして文章を書くという行為が、生活の中の一つになっているのではないかと思う。書けない時は無理には書かないけれど、モヤモヤしている時こそ、気持ちを整理するためにも書きたくなる。でも書けなくて余計にモヤモヤするという…

書きたい気持ちは常にあって、それなのになんとなく書けないのは、わたしが自分の時間をちゃんと生きられていないからなのかな。最近それを感じるの。なんとなくぼんやりしていて、周囲のことに関心がないというか現実感がないというか、自分自身のことさえ実感が湧かないような、ふわふわしている。こういう時期が度々ある。noteに書くのは自分の暮らしのことなんだから、自分の暮らしに実感を持てないような状態では、書けないのは当たり前だよね。

ぼんやりしている、ふわふわ地に足をついていないと言いつつ、何もしていないわけではない。仕事はそれなりに真面目に取り組んでいるし、家に帰れば面倒くさいと言いながらも晩ごはん作るし、絵を描く練習もしている。でも、仕事も家事も絵のことも、これでいいのか、こんなんでいいのか?って気持ちがある。だから、できていないことにばかりに目がいって、なんとなくちゃんと生活できていないって思ってネガティブな気持ちになるんだろうな。

できていないことを挙げていったらキリがない。今やっていることを、ぼんやりとやるんじゃなくて、今よりほんの少しでも心を込めてやる。やったこと、できたことに目を向ける。自分の時間を生きているんだって、実感を持つ。丁寧な暮らしって、きっとそういうことなんじゃないかなって思う。頑張って何かしようと思うんじゃなくて、今の暮らしを、ちょっとだけ丁寧にしてみる。まずはそこから。

ちゃんとしたごはんじゃなくても、心を込めて丁寧に料理をしよう。お風呂がめんどくさくてシャワーになっちゃっても、ゆっくり体や髪を洗ってみよう。絵を描くことを楽しもう。週末の天気はどうだろう?散歩に行きたい、梅干しも干さなきゃ。自分の暮らしをもっと楽しもう。

これを書きながら、そういえばこんなこと、以前消した下書きに書いていたなーと思い出した。書ける時には、書けるのよね。書けない書けないと思いながらも、何度もスマホやキーボードに向かい、こうして書こうとするのは、書くことをやめられないから。文章を書くことが、好きなんだろうな。

読んでくださって、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?