今思ふ

頭の中の整理がしたいがために、久しぶりに開いた。
本来このnoteを始めた目的は、脳内を言語化するトレーニングだったので間違っては無いのかな。

最近は大学に行ってよかったと感じることが多い。
それは、民族やジェンダー、年齢によっての判断に敏感になれたこと。

高校生の時にはこんな考え方しなかっただろうなと思うことが増えた。というか、いつの間にか増えていた。

映画を見ていても、CMを見ていても、ニュースのコメンテーターの話を聞いていても、これはジェンダー差別に当たらないのか?その言葉選びで傷つく人はいないのだろうか?なんてね。

特に、スキンカラーで表現することに対しては敏感になった。米国歴史について学んでいる時の影響だと思う。昔からなんとなく、「ブラック」「ホワイト」「イエロー」とかに分けるのは腑に落ちないことがあった。大学に入って、「世界」について触れる時間が増えれば増えるほど、今までの自分の考え方はなんとなく通じることがあって、けれど社会の表現は適していなくて。。。。なんて感じるようになった。

もちろん現地に行って直接触れたわけではないので、100%自信があって言えるのかと言われれば、答えはノーだが、それでも今までの平凡学生だったときよりは、ましだろう。


この間、戸田奈津子が引退したというニュースを見た。私の最初に憧れた人。会うことなく引退された。
彼女のどこに憧れたかって、まずはその英語力の高さ。当時高校生だった私には、同時通訳の世界はエベレストより高く、ブラジル並に遠い世界のように感じた。
次に、その人柄である。彼女はトムクルーズの専属通訳として活躍されていた。トムの性格は知らないけれど、あれだけの大スターにつく通訳者には人柄も重要だと思う。役者との距離感、言葉選び、信頼性、どれも国が違えば、人が違えば判断は変わってくる。そこを彼女は何十年とかけて構築してきたのだ。
「戸田奈津子の和訳には違和感がある。」「彼女が愛しているのは、映画ではなく”映画スター”だ。」
引退した時に世間から批判されまくっていた。確かに、彼女の言葉選びには疑問に思うところがいくつかある。けれども、予想以上に世の中の評価は厳しく、「これで違和感のある和訳がなくなる。引退してくれて嬉しい。」なんて声が多く見られた。その瞬間なんだか悲しくなった。別に彼女の肩を持つわけではないが、通訳の世界で第一線として活躍し、こうして一人の人間に夢を与えられる存在にも容赦ない言葉の刃が向けられたからである。やはり、言葉は恐ろしい。

あと最近思うことは、人との距離感ってやっぱり大事だなって。
近すぎても、見たくないとこまで見えてイライラするし、
遠すぎても、関わり方がわからずギクシャクしてしまう。

私には尊敬する先輩がいる。彼は出会った時から、周りに愛され、実績もある、後輩とも向き合える、私からしたらものすごい人だ。
こんな人間性が私もほしいと感じた。
そんな彼とは今、立場は違えど一緒にお仕事させてもらっている。
けれど、距離感が近いからこそ、お互いがお互いに期待してしまっていて、ぶつかることがある。考え方も似ているところがあるからかな。
理解してほしい、あなたなら理解できると思って話したことでも伝わっていなくて、互いに口調が強くなる。そして後悔する。
人との適切な距離なんて、その場の感情、体調、タスク量、テンション、雰囲気で変わってしまう。うまく見極めるのは永遠に難しい。都度都度、予測して適切な距離を保とう。 嫌いにはなりたくないから。


みんな色々悩んで考えて生きているんだよなあ。
今日も明日も生きることで精一杯。

全ての瞬間を映像で残せたらいいのにな。

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