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たしかに「信じる者は救われる」のかもしれない

胸に手を当て、斜め上を見上げる外国人……。

「フランシスコ・ザビエル」は歴史が苦手だった人でも、印象に残りやすい人物のトップ5には入るんじゃないだろうか(たぶん)。

信じる者は救われる

そんなキリスト教の言葉を聞いたのはたしか、授業で彼のことを習ったときだった気がする。

滲み出る宗教の香りに、なんか怖い、と感じたことしか覚えていないけど。

人間が想像できることは、人間が必ず実現できる

そんな言葉も聞いたことがある。調べてみたら、フランスのSF小説家・ジュール・ヴェルヌという人の名言らしい。

逆に想像以上の自分にはなれない、と言ったりもする。最近、ちょっと違う視点から、これらの言葉ってたしかにそうかも、と思うようになった。

人はそれぞれ見ている世界が違う。それはおそらく自分が作り出した世界しか、人は見ることができないから。

そう思うと、自分が見る世界って変えられるのでは?と希望が湧いてきた。

「自分は不器用だ」を信じる世界で暮らしていたとしたら、どんなに克服しようとしても、頭では自分の不器用エピソードばかりが蓄積され、「ほら、やっぱり不器用でしょ?」となってしまう。

だってその世界では、「自分は不器用」が "真" だから。

「私は運がいい」を信じた場合。どんなに不運が続いても、きっとその中の幸運エピソードだけを抽出して「ほら、やっぱり運がいいでしょ?」と思える気がする。

だってその世界では、「私は不運」が "偽" なのだから。

信じるものは、自分で選択できる。

そんなことない、あるわけないと思ってしまうものはきっと、本当は信じたくて仕方ないものだ。

私は特に何かの宗教を信じているわけではないけれど。神様を信じている人の世界にはきっと、神様がいるのだろう。

何を信じてもいいのなら
信じれば実現するとしたら

私はどんな世界を信じよう?

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